実験方法
1. 照射糖培養液の調整
2. 供試菌株
3. 培養試験
米国等の食品照射反対運動では現在でも 1969 年に Schubert が報告した総説 「照射食品および食品成分の変異原性と細胞毒性」 を反対運動の重要な論拠の一つに用いている1)。この総説では 1% 糖含有培養液等を照射すると微生物や植物細胞、哺乳動物細胞、原生動物細胞に対し細胞毒性や変異原性を示すと述べている。これに対し、わが国ではガンマ線照射した糖液や糖・アミノ酸混合液の変異原性についての一連の研究が行われている2) 〜 5)。これらの研究では、糖液を照射すると弱変異原性物質が若干生成するが果汁抽出液や動物体内で無毒化され、糖・アミノ酸混合液では加熱の場合と異なり照射による変異原性物質の生成はないと報告されている。しかし、これらの研究では細胞毒性に及ぼす照射の影響についてほとんど検討されていない。糖類は水溶液の状態では放射線で分解されやすいが、熱処理でも著しく分解するものがある。そこで、本研究では糖発酵能を有する酵母菌や細菌類を用いて照射糖培養液と蒸気滅菌糖培養液における生育能に及ぼす糖分解物の影響について検討を行った。
糖培養液はペプトン無添加培養液 (glucose 10g, NH4NO3 1g, K2HPO4 1g, NaCl 0.5g, MgSO4・7H2O 0.5g, 蒸留水 1l, pH 7.4) とペプトン添加培養液 (glucose 10g, polypeptone 2g, NaCl 0.5g, K2HPO4 0.3g, 蒸留水 1l,pH 7.4) を準備した。この糖培養液を 250ml 容の通気瓶 2 本に約半量づつ入れ、片方は酸素ガスを約 10 分通気後に密封した。他の通気瓶は通気口を綿栓した。ガンマ線源は 10 万キュリー (4.0PBq) の Co-60 板状線源を用い、4.0kGy/h の位置での両面照射で 16kGy 照射した。照射位置の線量率は Fricke 鉄線量計とアラニン線量計であらかじめ測定して両者の吸収線量が一致することを確認しておいた。また、比較として xylose、lactose 培養液も照射した。しかし、微生物によっては xylose や lactose 資化能がないものがあるため、培養試験には用いなかった。一方、非照射の糖培養液は 120℃・15 分で蒸気滅菌しておいた。これらの処理済み培養液は 4℃ で 1 夜保存して培養試験に供した。
Saccharomyces cerevisiae 52a 株は ascospore を形成しやすい野生酵母菌である。Escherichia coli S2 株は下水汚泥から分離され6)、ペプトン無添加の合成培地でも活発に生育する。E. coli A4-1 株は牛肉より分離されペプトン無添加培地では生育できず、ソルビトール分解能がない7)。Bacillus subtilis IAM1069 株は低温下で簡単に溶菌を起こす菌である。
照射糖培養液または蒸気滅菌糖培養液 9ml を各 7 本の L 字管に無菌的に注入し、各種菌株培養液 1ml を加えシリコ栓をして、30℃ で振とう培養を行った。2 時間ごとに L 字管を採取し、660nm の吸光度 (島津 UV-150 型) で生育度を測定した。また、必要に応じて糖培養液の pH を測定し、培養液の着色は肉眼で観察した。
S. cerevisiae の場合 Fig. 1 に示すようにペプトン添加培養液での生育は蒸気滅菌と照射処理での差は全く認められなかった。一方、E. coli S2、A4-1 株では蒸気滅菌培養液に比べ照射培養液での生育が若干抑制された。ことに酸素ガス飽和下で照射した培養液での生育抑制が明確に認められた (Fig. 2, 3)。
B. subtilis をペプトン無添加培養液 (照射前 : pH 7.0) で培養すると、蒸気滅菌培養液では菌の生育が認められたのに対し、照射培養液での生育は著しく抑制され、ことに酸素ガス飽和下で照射された培養液での生育はほとんど認められなかった。この場合の培養液の pH は蒸気滅菌処理液で 6.4 に対し、空気平衡下の照射培養液で 6.2、酸素ガス平衡下の照射培養液で 6.0 であった。 B. subtilis の生育がペプトン無添加培養液で活発でないため、ペプトン添加培養液で再度培養試験を行った。その結果、Fig. 4 に示すように照射培養液では菌の生育が明確に抑制され細胞毒性があるように推察された。この場合の培養液の pH は処理前が 7.4 に対し、蒸気滅菌処理後には 6.8 に低下し、空気平衡下での照射培養液で 6.6、酸素ガス平衡下での照射培養液で 6.4 に低下した。そこで、各処理培養液の pH を 7.0 〜 7.2 に再調整してから B. subtilis を培養したところ、Fig. 5 に示すように各培養液での生育に差は全く認められなくなった。このことは B. subtilis が他の菌種に比べ pH 変化に敏感であることを示しており、照射による分解生成物は各種微生物の生育に対し有害でないことを示している。
水溶液中の glucose は蒸気滅菌に比べ 16kGy 照射で糖分解による pH 低下が起こりやすいことが明らかになったので、さらに xylose や lactose についても分解による pH 低下を比較した。その結果、Table 1 に示すように照射による pH 低下は糖の種類による差は少なかった。一方、蒸気滅菌処理では xylose の pH 低下が著しく認められ糖の種類による差が大きかった。また、蒸気滅菌処理では糖培養液が薄茶褐色に着色したが照射糖培養液では着色は認められなかった。
糖類を乾燥下で照射すると有機酸のほかにアルデヒド類も生成するが、水溶液中で照射すると有機酸が主に生成すると報告されている8)。すなわち、水溶液中で glucose を照射するとグルコン酸、グリセリン酸、デオキシグルコン酸類、デオキシケトグルコース類が主に生成し、グルコソンなどの α−ジカルボニル化合物類なども若干量生成することがわかっている。これらの化合物の中でグルコソンなどの α−ジカルボニル化合物に弱変異原性を示すものがあるが、10kGy の照射では変異原性を示すのに必要な量の 100 分の 1 程度しか生成しないと報告されている2)。
本研究の結果では S. cerevisiae は pH6.0 以下でも生育が良好なため、蒸気滅菌処理と照射処理糖培養液で生育に差が認められないのは当然のことであろう。E. coli も比較的低 pH で生育が可能であり、照射糖培養液で生育が若干抑制されたのは pH 低下による影響であろう。B. subtilis は高 pH での生育を好み、しかも化学物質の細胞透過性が高い菌である。したがって、照射糖培養液で pH が著しく低下すれば生育が抑制されるのは当然である。しかも、培養液成分の影響が現れやすい菌であるにもかかわらず pH を 7.0 以上に再調整すると照射の影響が認められなくなったという結果は細胞毒性を示す物質がほとんど生成されないことを示している。
Schubert は照射により生成される過酸化水素や有機過酸化物が生物細胞に悪影響を与えると述べている1)。過酸化水素の生成量は蒸留水中で 100μM 程度と報告されているが9)、糖培養液中では培地成分が存在するため生成量は微量と思われ、しかも照射後に急速に分解されてしまう。照射による有機過酸化物の生成量は脂質でも加熱調理より少ないことが報告されており10)、本研究の結果でも細胞毒性を示す結果は得られていない。したがって、Schubert が引用した多くの研究報告は照射による培養液の pH 低下など実験条件の設定に問題のある結果が多く、それらの結果から照射食品の安全性を評価するのは問題であろう。なお、糖の多くは加熱調理でも分解して有機酸類などを生成するが、その分解生成物の種類は放射線と大差ないものと思われる。
1) J. Schubert: Mutagenicity and cytotoxicity of irradiated foods and food components, Bull. Wld. Hlth. Org., 41, 873-904, (1969).
2) 川岸舜朗, 大澤俊彦, 公文春枝 : ガンマ線照射糖液の変異原性およびその抑制, 食品照射研究委員会・研究成果最終報告書, 日本アイソトープ協会, 135-149, (1992).
3) 祖父尼俊雄, 石舘 基, 林 真, 能美健彦, 松岡厚子, 松井直子, 鈴木孝昌, 渡辺雅彦, 本間正充, 山田雅巳, 山崎奈緒美, 松井恵子 : ガンマ線照射グルコースについての変異原性試験, 食品照射研究委員会・研究成果最終報告書, 日本アイソトープ協会, 150-181, (1992).
4) 坂本京子, 岩原繁雄, 川上久美子 : ガンマ線照射グルコースの変異原性, 食品照射研究委員会・研究成果最終報告書, 日本アイソトープ協会, 182-191, (1992).
5) 坂本京子 : 糖・アミノ酸混合物の加熱物の変異原性に対するガンマ線照射の影響, 食品照射研究委員会・研究成果最終報告書, 日本アイソトープ協会, 192-203, (1992).
6) Ito H., Watanabe H., Iizuka H. and Takehisa M.: Change in microflora of sewage sludge by gamma-ray irradiation, Agric. Biol. Chem., 47, 2707-2711 (1983).
7) 伊藤 均, Harsojo : 食肉中での大腸菌 O157:H7 の放射線殺菌効果, 食品照射, 33, 29-31, (1998).
8) P. S. Elias and A. J. Cohen (Ed.): Radiation Chemistry of Major Food Components, Elsevier, (1977).
9) D. Ewing and S. R. Jones: Superoxide removal and radiation protection in bacteria, Archives of Biochemistry and Biophisics, 254(1), 53-62, (1987).
10) W. W. Nawar: Volatiles from food irradiation, Food Reviews International, 2(1), 45-78, (1986).
(2003 年 5 月 22 日受理)
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