発表場所 : 放射線と産業, 125号, pp. 16-20
著者名 : 市川まりこ
著者所属機関名 :食のコミュニケーション円卓会議
発行年月日 : 2010 年3月1日
1.はじめに
2.食のコミュニケーション円卓会議とは
3.食品照射の体験実験
4.私たちが得た実感とは?
5.より良いリスクコミュニケーションのために
食品照射のリスクコミュニケーション
食品照射の体験実験レポート
1.はじめに
食品照射は、食品や農産物に放射線を照射して殺菌、殺虫、芽止めなどを行い、食品を衛生的に管理する食品処理技術のひとつである。照射処理の有用性と、放射線照射された食品や農産物の食品としての健全性(安全性+栄養適性)は、1980年代以降に各国の研究機関と世界保健機関(WHO)などによって確かめられ、世界各国で実用化されている。近年はアジア地域での実用化の進展が著しいといわれている。
しかし日本では、馬鈴薯の芽止め照射を除いて法的に禁止され、諸外国で多く実用化されている香辛料の照射殺菌も禁止されたままとなっている。その理由の一つが、社会受容性の低さにあると常々指摘されている。
日本では実際の照射食品に触れる機会はほとんど無い。照射食品に反対する一部の市民団体でも、そして、多くの一般の消費者も、照射食品を見たり、触ったり、照射の現場を見たことがほとんどないままに、放射線→被ばく=原爆→悲惨!のようなネガティブな感情や、照射食品は危険だという先入観を持っているのではないだろうか。
実は、私たちも同じような気持ちを持っていた。食品照射の話は、専門用語がたくさんあって難しくすぐには理解できなかったし、「放射線」と聞くと、頭の中に「放射能」という言葉が浮かんできて、怖いものだと思うこともあった。
そこで、私たちは食品照射に関して、生活者の視点による体験実験をしてみようと思い立った。自分の体験を通して得られた実感を伝えることにより、ふつうの消費者にとってはわかりにくい食品照射について、少しでも建設的な議論が広がるきっかけになることを期待している。
2.食のコミュニケーション円卓会議とは
2005年、内閣府原子力委員会に設置された食品照射専門部会委員を務めていた当時、私は、消費者はあまりに食品照射のことを知らな過ぎる、情報の共有ができなければ議論もままならない、まずは知ること学ぶことが大事との思いを抱えていた。そのため、2006年7月、お茶の水女子大学で開催された再教育講座の受講生仲間や講師に呼びかけて「食のコミュニケーション円卓会議」(以下「食の円卓会議」)を結成した。主婦、事業者、研究者、教育者、マスメディア、行政関係者など様々な立場のメンバーが互いに学びあう、教えあうという気持ちを持って集い、学習会や意見交換会、公開講座、見学会などの活動を行ってきている。
3.食品照射の体験実験
3-1 企画が生まれた背景
「食の円卓会議」では食品照射を当初からテーマに取り上げてきたが、専門用語の壁もあり、すぐには理解できないことも多く、一般の消費者が「食品に放射線を照射する」と聞いたときの素朴な疑問や不安は、まさに自分たちの疑問や不安でもあった。そこで、なぜ不安なのか、何が不安なのか等々について、メンバーの間で丁寧な意見交換を行った。その中からわかってことは、専門的な言葉の多さと難解さ、科学的知識不足、よく知らない放射線に対する恐怖など色々な要素が絡み合っている状況だった。
そこで、私たちは、まず、現場へ出かけて、見てみようと思い立った。2007年4月、「食の円卓会議」のメンバー有志で原子力機構・高崎量子応用研究所を訪れ、照射施設を見学するとともに実際の食品への照射効果や必要以上に高線量の照射による影響などを体験学習した。さらに、学びと体験を重ねてみたいという希望と、そこから得られた成果を社会へ伝えていきたいという目的により、企画段階から参加してみませんかという専門家の呼びかけに応えて、改めて有志を募り、2009年の体験実験を開始した(写真-1、写真-2)。
写真-1 2009年2月16日新町駅集合「その大きな荷物の中身はなあに?」
写真-2 並べ方の予行演習
3-2 照射する食品の選定
実験に使う食品は、家庭の冷蔵庫で腐らせてしまいがちな野菜も照射で長持ちするのかな?という主婦の目線の素朴な好奇心で選び、日持ちや食味への影響を調べることにした。
品目によっては、食品照射の専門家から『それは、やってもしょうがないかも』というコメントもあったが、実用性、採算性よりもまずは好奇心優先で選定した。
選定した品目と観察項目、照射条件、観察方法、結果などを表-1に示す。
表-1 食品照射の体験:品目と結果など
3-3 野菜の日持ち向上効果
(1)材料と方法
きゅうり、ブロッコリー、カット野菜(キャベツ・もやし等)、ショウガ、ニンニクをスーパーなどで購入して供試した。原子力機構・高崎量子応用研究所のコバルト60線源を用いて線量率0.3〜4 kGy/hrで10分間〜2.5時間、γ線を照射した。照射試料と非照射対照品を品目ごとに3〜4名で分担して持ち帰り、家庭用冷蔵庫などで保存し、食材として使用可能かどうかという観点から、傷むまでの経過を観察した(写真-3、写真-4)。
(2)結果と考察
きゅうり:照射直後、1 kGy照射では非照射品と差は無かった。4 kGy照射品では外観は変わらないが、内部が軟化して歯ごたえが失われた。冷蔵庫で10日間保存後は、1 kGy照射品の方が、同等か、やや良好で、照射による日持ち向上効果があるように感じられた。冷蔵庫で14日間保存後には、一部で腐敗が始まりバラツキが大きくなった。青果物の照射による噛みごたえ(テクスチャー)の変化は、これまでにも物理測定による報告があり、柔らかくなる原因は、細胞壁成分の分解などで説明されている。好ましい物性変化を目的とする新しい照射利用法も可能かもしれない。
ブロッコリー:照射当日および1週間後は、1 kGy照射品では非照射品と大きな差は無かった。10 kGy照射品では外観では差はないが、においと食味が劣っていた。冷蔵庫で2週間保存後は、1 kGy照射品では非照射品と大きな差は無かったが、いずれも生鮮野菜として食用の限界に近いと思われた。10 kGy照射品では腐敗が始まった。冷蔵庫で3週間保存後は、どの試料も明らかに食用期限が切れた状態になった。1 kGy照射品では、非照射品と比べて葉の黄変や茎の黒変は比較的抑制されたが、においと味の劣化は大きかった。
ブロッコリーの場合、呼吸で排出された二酸化炭素が蓄積して嫌気状態になると黄変やにおい物質の生成により品質低下がおきると言われている。冷蔵庫で保存中のガス条件の影響が大きかったかもしれない。
カット野菜:1 kGy照射では、すべての観察項目で非照射品と大きな差がなかった。10 kGy照射では、腐敗の程度は低かったが、褐変が早く、味がしなくなっており、においの質も非照射品や1 kGy照射とは違っていた。1 kGyという線量は、バチルスなどの腐敗菌を完全に殺すには不十分。また、この実験で用いた製品は加熱調理用として洗浄後、冷蔵保存されており、微生物が一気に増殖して腐敗が進むことが無いような状態で販売されている。これらの理由で、非照射品と1 kGy照射品で明確な差が見られなかったと思われる。
ニンニク:50 Gy照射試料の発芽数で比較した場合、中国産ではやや芽止め効果の傾向が見られたが、青森県産では非照射品との明確な差は見られなかった。観察した個数も少なく、各家庭での保存環境も同一ではなかったことによるバラツキと考えられる。しかし、4週間後に水平に切って断面を比べると、青森県産・中国産共に、照射品は非照射品に比べ芽の成長が小さく、発芽が抑えられているのが確認できた(写真-5)。
ニンニクの芽止めに必要な線量は、収穫してから照射されるまでの期間によって異なり、短期間のうちに照射すれば20〜70 Gy、期間が長い場合は100〜150 Gyで芽止めが可能といわれている。今回の実験では、収穫後半年以上たった2月に照射が行われており、ニンニクの休眠が打破されていた可能性がある。そこで、2009年夏に収穫されたニンニクを青森県の産地から取り寄せ、線量を変えて照射して芽止め効果を確認する実験を開始したところである。
ショウガ:外観は4週間後から、おろしたときの香りは6週間後から有意に劣化したが、照射の有無や線量による有意差はなかった。食感(辛みなど)は、非照射と5 kGyでは評価のバラツキが大きかったが、10 kGyでは照射直後から全期間、すべての観察者で評価が低く、今回の実験では、外観や香りに関しては照射による日持ち向上効果は確認できなかった。今回の実験では、市販品として洗浄されたショウガを用いており、初発の菌数は予めある程度制御されていたことと、照射後の微生物汚染を排除して貯蔵する条件に制約があったことから、参考にした文献報告(皮を剥いたショウガへの5 kGy照射で10℃での貯蔵期間が70日まで延長)ほど、明確な効果が認められなかったと考えられる。
写真-3 袋の中は生姜とニンニク
写真-4 じゃがいもは芽止め許可線量の16倍まで照射
写真-5 照射4週間後の中国産ニンニクの水平断面。左から順に非照射、50 Gy、5 kGy。それぞれの鱗片内の芽の大きさ(直径)が線量によって異なるのがわかる。
3-4 照射による食味の変化
(1)材料と方法
板付き蒲鉾、ライトツナ缶、牛乳、チーズ、スライスベーコン、生うどん、豆腐などをスーパーで購入して供試した。市販品の包装のまま、原子力機構・高崎量子応用研究所において60Co-γ線を線量率0.4〜4 kGy/hr、室温または0℃で照射した。照射直後あるいは冷蔵庫で一晩から約10日間保存後に、非照射品を基準として食味等を評価する官能試験を実施した(写真-6、写真-7)。
(2)結果と考察
板付き蒲鉾 ・ライトツナ缶:照射の有無による差が小さかった。
スライスベーコン(くん液不使用・脱酸素剤あり):照射の有無についての差が小さかった。いわゆる「照射臭」を感じにくかった。照射時の温度による差が小さかったのは、脱酸素剤の効果かもしれない。
牛乳(130℃/2秒殺菌):照射の有無が明確にわかるほど、照射したものはまずいと感じる人が多かった。照射の有無による色の違いを感じる人もいて、牛乳については照射によって風味が非常に悪くなると結論できた。
生うどん:大きな違いはないが、におい(ひな臭い・粉臭い・むれ臭など)、外観(少し暗い・茶色っぽいなど)、味(アルコール味・酸味など)が非照射より劣ると感じる人が1 kGyより4 kGy照射で多い。1 kGyのゆでたうどんは、「おいしい」と答えた人もいて、非照射との違いは小さかった。小麦粉を照射すると麺への加工適性が損なわれるという話があったが、生めんの照射なら、その問題はなく、利用の可能性があるかもしれない。
豆腐(無菌充填パック):1 kGyであっても感じやすい人はまずいと感じ、4 kGy照射には、照射した牛乳のような明確なまずさを感じた人が多かった。照射すると豆乳のような臭いを感じた人もいた。
写真-6、7 食味テストの様子
4.私たちが得た実感とは?
これらの実験観察の体験を通して、私たちは食品照射に対して、「低温のまま殺菌などの処理ができるメリットがある」「どんな食品にも使える訳ではない。向き不向きがある」「線量は多過ぎても少な過ぎてもダメである」などのことが実感として理解できた。専門家が行うような厳密な実験では無いけれど、食品照射の有用性について、「大凡こういうことなんだ」というような理解を得ることができた。また、放射線照射という言葉への恐怖感や、照射された食品に対する不安感が、実際に自分で実験観察を体験した後では、以前に比べて少なくなったことに驚いた、などの感想も聞かれた。
今回の体験実験を終えて、はっきりと言えることは、体験は理解を進める大きな力になるという事実である。食の円卓会議のメンバーは、それぞれ違う背景を持ち、多様な意見があり、知識レベルにも差がある。同じ体験実験をしても、個人の評価も、結果の受け止め方も心情的な感想も十人十色であった。しかし、共同研究者である専門家との意見交換を通して得られた食品照射への理解は、参加者の共通認識や納得感へと変わっていった。ここに、体験実験の素晴らしさと専門家とのコラボレーションの醍醐味があるといえる。
5.より良いリスクコミュニケーションのために
日本において、食品照射についての知識や情報が多くの消費者に共有化されていない現実を考えると、食品照射のリスクコミュニケーションの前途は多難である。
まず、国には、食品照射という技術のリスク評価を速やかに行い、国民の健康への悪影響があるのかないのかを、最新の科学的評価としてきちんと示すことを望みたい。同時に、食品照射のメリットやデメリットについて情報を豊富に持っている専門家、事業者には、消費者への積極的な情報提供を望みたい。放射線は目に見えず、線量の大小もまるでピンと来ないため、安全性について危惧するのは、消費者にとって普通の感覚である。そのことを念頭において、多様な消費者のニーズにあった情報を分かりやすく、地道に伝えていくことが重要である。
そして私たちは、食品照射の体験実験に基づいた実感を、社会に広く伝えたいと考えている。願わくば、私たちのような体験実験をしてみたいという人たちと連携しながら、食品照射について建設的な議論を始めたい。
ふつうの消費者にとってはわかりにくい食品照射について、私たちのこの体験実験レポートが、消費者の素朴な不安や疑問を軽減していく一助となることを願っている。
謝辞
今回の体験実験は、食のコミュニケーション円卓会議の千葉悦子氏、飯塚友子氏、小堀恵美子氏、志保沢久子氏、蒲生恵美氏、横山勉氏、福冨文武氏、農研機構・食品総合研究所の等々力節子博士、北海道教育大学の鵜飼光子博士、原子力機構の菊地正博氏および小林泰彦博士と共同で行ったものです。関係の皆様に心から感謝いたします。
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