従来食品の安全性の衛生化学的試験法としては特定の有害物質についてその含有の有無を検討する方法が取られ、試験の対象となった有害性物質を検出しないことをもって一応当該食品の安全性の目安として来た。このような試験は対象有害性物質の種類にもよるが一般的に比較的容易である。しかしながらどのような物質を含んでいるか全く不明のある食品についてそれが安全無害であることを衛生化学的に証明するには極めて多数の成分化合物について検討を行う必要がありこのことは極めて困難である。
γ線照射馬鈴薯の衛生化学的研究においても総ての成分を調査し、γ線照射によって生じた異常成分につきその毒性を検することが望ましいがこのような研究は不可能であるので、次善の策として可能な範囲でγ線照射馬鈴薯の化学的成分を非照射馬鈴薯のそれと種々の分析法を用いて比較し前者にのみ見出される異常成分あるいは前者に異常に多量に含まれている成分について深く検討し、必要に応じて動物実験に供することとした。試験としては、γ線照射後も馬鈴薯が生きている以上馬鈴薯の属するナス科植物の産生する既知有害物質を重点的に検索すべきは当然である。この外、生理活性の大きな化合物も注意して検討する必要がある。馬鈴薯に含まれている有害物質としてはソラニンがあるが一般ナス科植物の観点から見ても種々の多くのアルカロイドが挙げられる。一方、生理活性と関係の深い一般化合物の物理的特性には蛍光性、親電子性等がある。又一般にγ線照射食品中の異常成分としては特に肉製品についての研究であるが、i)蛋白質に由来すると思われる水溶性カルボニル化合物、ii)プラスマローゲン及びその他の脂肪に由来する脂溶性の長鎖のカルボニル化合物、iii)非蛋白質系窒素化合物に由来するアルキルアミン類、iv)アルキルメルカプタン類の生成、増加が知られている。カルボニル化合物(1)については馬鈴薯の場合(2)も高線量照射によりポリフェノール成分(3)と共に著しく増加することが知られている。これらの外、γ線照射により過酸化物の増すことも当然考慮する必要がある。
よって照射及び非照射馬鈴薯の抽出溶液について上記、化合物乃至物理的性質を中心として薄層クロマトグラフィー、ガスクロマトグラフィー、ポーラログラ フィーその外の分析手法を用いて検討を加え、γ線照射によって生ずる異常成分の検索を行った。
北海道産馬鈴薯「男爵」種について高崎原子力研究所でCo−60によるγ線15、30及び60kradを照射したものを照射検体とし、同時に収穫した非照射品を対照検体として使用した。
検体は当所で受理後原則として室温に保存し腐敗のおそれのある場合にのみ冷蔵保存した。照射群はほとんど完全に発芽が抑制されていたが照射後3ヶ月目頃より線量の差による馬鈴薯の外見的変化の差違が現われ、6ヶ月経過後には非照射馬鈴薯は総て発芽による萎縮が見られ、また30及び60krad照射群は室温保存の場合照射量に比例して腐敗の進むのが認められた。照射によって明らかに腐敗率が増加するのは50krad以上であるとの報告(1)があるが、検体では30krad照射検体の腐敗率もかなり顕著であり、腐敗していないものも表皮が黒ずみ萎縮が見られた。15krad照射群は一部に腐敗が見られたが一般に新鮮なものに近い状態に保たれていた。
検体は受理後3〜6ヶ月の間に有機溶媒により抽出し諸試験に供した。
食品中の有害物質を抽出するに際し対象とする有害物質ないし有害物質群が既知の場合には、そのような物質(群)の性質からそれらに適した抽出法が考案されている。しかし、γ線照射馬鈴薯の安全性に関する試験においては緒言にも述べた如くこのような既知有害物質を推定することが出来ないため、あらゆる有害(低分子量)物質を逃さず取り出し得る抽出法を設定せねばならない。
このような目的に合った特別の抽出法はないが、これに近いものとして裁判化学上しばしば利用されるStas−Otto法による毒物の分離法が挙げられる。本法は主として医薬品、農薬等の劇毒物の抽出分離法であり、極めて多種の有機化合物を抽出分離することが出来る。そこで、本研究においてはまずStas−Otto法による有機化合物の抽出分離を行った。
この抽出法の外、特定の物質(群)に関する試験に際してはその物質(群)に最も適した抽出法を用いた。この種抽出法についてはそれぞれの項目の所で記すこととし、ここではStas−Otto法による抽出分離法について述べる。
検体の抽出分離に当っては後の定量試験の際の必要上、非照射並びに15krad、30krad及び60kradの4種の検体について検体量、溶媒量等厳密に同一条件の下に処理を行った。
以下、塚本久雄、奥井誠一の方法(4)に準じて検液を調製した。なお抽出分画行程の概略を第1図に示す。
本研究において抽出成分の分離検出並びに定量法として薄層クロマトグラフィー、ガスクロマトグラフィー、比色分析法、及びポーラログラフィー等を利用したが最も繁用したのは薄層クロマトグラフィーである。その実験条件並びに試験結果はつぎのとおりである。
実験条件
(a)薄層クロマトグラフィー条件
薄層;シリカゲルG薄層(東洋濾紙製プレート)
厚さ0.25mm
110℃ 30分間活性化後使用
試料スポット量:20μl
展開溶媒:各項目ごとに記す
展開槽:密閉、溶媒蒸気飽和方式
発色試薬;蛍光:2537A°及び3650A°
(イ)一般蛍光性物質の検出
リンモリブデン酸試液:
10%エタノール溶液、ステリン類、脂質、
長鎖アルキル化合物、ケト酸、ラクトン、
オキシ酸、フェノール誘導体等極めて広範囲
の有機物の検出用試液(噴霧後加熱)
塩化第二鉄試液:
1%塩化第二鉄エタノール液
(ロ)フェノール誘導体の検出用試液
ドラーゲンドルフ試液:
次硝酸ビスマス1gを少量の濃塩酸に溶解し、
アンモニアアルカリ性として水酸化ビスマスを
沈澱させこれをよく水洗する。沈澱を少量の
塩酸に溶かし、これに3gの沃化カリを少量の
水に溶かし、これに3gの沃化カリを少量の
水に溶かした液を加え、70%酢酸を加えて
全量を50mlとする。
(ハ)アルカロイドその他の諸種塩基検出用試液
硫酸第二セリウム試液:
硫酸第二セリウムを1%の割合に10%硫酸に
溶かした液(噴霧後加熱)
(ニ)一般有機物検出用試液
塩化白金ヨウ化カリ試液:
1%塩化白金溶液1mlに4%ヨウ化カリ溶液
25mlを加え、水を加えて全量50ml
とす。
(ホ)アルカロイドその他の諸種塩基の検出用試液
(b)薄層クロマトグラフィー試験結果
試験結果を表にまとめるとつぎのとおりである(第2表(1)〜(11)。
展 開 溶 媒 |
Rf値 |
色 |
備 考 |
|
ベンゼン クロロホルム (1:1) |
蛍 光 物 質 1 |
0.1 |
黄 |
60kradのみ |
蛍 光 物 質 2 |
0.17 |
黄 |
|
|
蛍 光 物 質 3 |
0.9 |
青 |
0kradのみ |
|
蛍 光 物 質 4 |
1.0 |
黄 |
|
|
アルコール製水酸化ナトリウム発色1 |
0 |
黄 |
|
|
アルコール製水酸化ナトリウム発色2 |
1.0 |
黄 |
|
展 開 溶 媒 |
Rf値 |
色 |
備 考 |
|
ベンゼン ギ酸 エチルギ酸 (75:24:1) |
蛍 光 物 質 1 |
0 |
黄 |
|
蛍 光 物 質 2 |
0.1 |
黄 |
|
|
蛍 光 物 質 3 |
0.3 |
黄 |
|
|
蛍 光 物 質 4 |
0.93 |
青 |
0kradのみ |
|
アルコール製水酸化ナトリウム液発色1 |
0 |
淡黄 |
|
|
アルコール製水酸化ナトリウム液発色2 |
0.09 |
淡黄 |
|
|
アルコール製水酸化ナトリウム液発色3 |
0.23 |
褐 |
|
|
アルコール製水酸化ナトリウム液発色4 |
1.0 |
黄 |
|
|
リンモリブデン酸試液発色 |
0.3 |
青 |
(0、60kra dに蛍光あり) |
展 開 溶 媒 |
Rf値 |
色 |
備 考 |
|
酢エチ メチルエチルケトン ギ酸 水 (5:3:1:1) |
蛍 光 物 質 1 |
0.71 |
青 |
30、60kradに強い |
蛍 光 物 質 2 |
0.8 |
青 |
30、60kradに強い |
|
蛍 光 物 質 3 |
0.9 |
黄青色 |
0、15krad |
|
蛍 光 物 質 4 |
|
青弱 |
30krad |
|
蛍 光 物 質 5 |
|
青強 |
60krad |
|
塩化第二鉄試液発色1 |
0.82 |
帯青灰色 |
|
|
塩化第二鉄試液発色2 |
1.0 |
黄色 |
|
|
5%水酸化ナトリウム試液発色 |
1.0 |
黄色 |
|
|
リンモリブデン酸試液発色1 |
0 |
青 |
0kradにのみなし |
|
リンモリブデン酸試液発色2 |
0.37 |
淡青色 |
|
|
リンモリブデン酸試液発色3 |
0.96 |
淡青色 tailing |
|
展 開 溶 媒 |
Rf値 |
色 |
備 考 |
|
メタノール アセトン トリエタノールアミン (1:1:0.3) |
蛍 光 物 質 1 |
0.65 |
青弱 |
15、30kradのみ |
蛍 光 物 質 2 |
0.87 |
青 |
60krad強く他はごくうすい |
|
ドラゲンドルフ試液発色 |
0 |
黄 |
|
|
硫酸セリウム試液発色1 |
0.65 |
黄弱 |
|
|
硫酸セリウム試液発色2 |
0.87 |
黄弱 |
(蛍光残る) |
|
ブタノール酢酸水 (8:1:1) |
蛍 光 物 質 1 |
0.6 |
青 |
15、30、60kradのみ |
蛍 光 物 質 2 |
0.8 |
青弱 |
60kradのみ |
|
蛍 光 物 質 3 |
1.0 |
青強 |
60kradのみ |
|
10%硫酸試液発色 |
検出せず |
|
|
展 開 溶 媒 |
Rf値 |
色 |
備 考 |
|
クロロホルム アセトン ジエチルアミン (5:4:1) |
蛍 光 物 質 |
0 |
青 |
60kradに強く他はうす い 全体にtailing |
ドラゲンドルフ試液発色1 |
0 |
黄 |
蛍光が残る |
|
ドラゲンドルフ試液発色2 |
1.0 |
橙 |
|
|
硫酸セリウム試液発色 |
0 |
黄 |
蛍光が残る |
展 開 溶 媒 |
Rf値 |
色 |
備 考 |
|
酢エチ メチルエチルケトン ギ酸 水 (5:3:1:1) |
蛍 光 物 質 |
1.0 |
青 |
60krad特に強い |
硫酸セリウム試液発色 |
1.0 |
黄 |
|
|
ベンゼン ギ酸エチル ギ酸 (75:24:1) |
蛍 光 物 質 |
0.35 |
青 |
60kradに特に強い 他はごくうすい |
硫酸セリウム試液発色 |
検出せず |
|
|
展 開 溶 媒 |
Rf値 |
色 |
備 考 |
|
酢エチ メチルエチルケトン ギ酸 水 (5:3:1:1) |
蛍 光 物 質 1 |
1.0 |
黄うすい |
0、15krad |
蛍 光 物 質 2 |
|
青強 |
30、60krad |
|
リンモリブデン酸試液発色 |
0.39 |
淡青色 |
|
|
硫酸セリウム試液発色 |
0.25 |
黄色 |
|
|
ドラゲンドルフ試液発色1 |
0.22 |
赤 |
15kradのみ赤色(僅) |
|
ドラゲンドルフ試液発色2 |
0.43 |
紫色 |
|
展 開 溶 媒 |
Rf値 |
色 |
備 考 |
|
ベンゼン ギ酸エチル ギ酸 (75:24:1) |
蛍 光 物 質 1 |
0 |
黄弱 |
|
蛍 光 物 質 2 |
0.2 |
黄弱 |
0krad |
|
蛍 光 物 質 3 |
|
青強 |
30、60kradのみ |
|
リンモリブデン酸試液発色 |
0 |
黄橙 |
|
|
硫酸セリウム試液発色 |
0 |
黄 |
|
|
ドラゲンドルフ試液発色 |
検出せず |
|
|
展 開 溶 媒 |
Rf値 |
色 |
備 考 |
|
ブタノール 酢酸 水 (8:1:1) |
蛍 光 物 質 1 |
0.6 |
黄 |
|
蛍 光 物 質 2 |
0.87 |
青強 |
30、60kradのみ強い |
|
10%硫酸試液発色 |
0.6 |
黄弱 |
|
|
ドラゲンドルフ試液発色 |
0.2 |
赤 |
15kradのみ赤色 |
展 開 溶 媒 |
Rf値 |
色 |
備 考 |
|
酢エチ メチルエチルケトン ギ酸 水 (5:3:1:1) |
蛍 光 物 質 1 |
0 |
青弱 |
0krad |
蛍 光 物 質 2 |
|
青強 |
15、30、60krad |
|
リンモリブデン酸試液発色1 |
0 |
青強 |
0krad |
|
リンモリブデン酸試液発色2 |
|
青弱+黄褐強 |
15、30、60krad |
|
硫酸セリウム試液発色1 |
0 |
褐 |
|
|
硫酸セリウム試液発色2 |
0.88 |
ピンク |
(15、30、60kradはtailing) |
|
ドラゲンドルフ試液発色 |
0 |
褐 |
30、60krad特に強い |
|
塩化白金ヨウ化カリ試液発色 |
0 |
黄橙 |
|
展 開 溶 媒 |
Rf値 |
色 |
備 考 |
|
ベンゼン ギ酸エチル ギ酸 (75:24:1) |
蛍 光 物 質 |
0 |
黄 |
|
リンモリブデン酸試液発色1 |
0 |
濃青色 |
0krad |
|
リンモリブデン酸試液発色2 |
|
青+褐色 |
15、30、60krad |
|
硫酸セリウム試液発色 |
0 |
黄褐色 |
|
|
塩化白金ヨウ化カリ試液発色 |
0 |
黄橙色 |
|
|
ブタノール 酢酸 水 (8:1:1) |
蛍 光 物 質 1 |
0 |
黄 |
|
蛍 光 物 質 2 |
0.5 |
青強 |
|
|
蛍 光 物 質 3 |
0.73 |
青弱 |
|
|
蛍 光 物 質 4 |
0.9 |
青強 |
|
|
10%硫酸試液発色1 |
0 |
黒 |
|
|
10%硫酸試液発色2 |
0.5 |
うす紫 |
|
次にStas−Otto法による抽出分画中第1、第2及び第3分画について、その中に含まれている揮発性物質の検出比較を水素焔イオン化検出器付ガスクロマトグラフによって行った。
(a)実験条件
検液の調整:Stas−Otto法による第1〜3分画の各エーテル溶液をそれぞれ15mlとり、エーテルを溜去後酢酸エチル0.5mlにとかす。不溶物のある場合にはエーテル1〜2滴を加えた。
使用装置:島津製3AF型ガスクロマトグラフ
検出器:水素焔イオン化検出器
カラム:4%ポリエチレングリコールジサリシネート
(担体:ガスクロム−Q)
内径 長さ1m ガラス管
カラム温度:133℃
キャリヤーガス:窒素 0.7kg/cu
水素:0.82kg/cu
空気:0.84kg/cu
試料注入量:1μl
(b)実験結果
上記実験条件下に得られたガスクロマトグラフ(図は省略した。)を検討した結果は、各分画とも非照射及び照射各検体間に有意の差は認められなかった。
Stas−Otto法による抽出分画中第1及び第2分画についてその中に含まれている親電子性物質の検出比較を電子捕獲型検出器付ガスクロマトグラフによって行った。
(a)実験条件
使用装置:柳本製G−800ガスクロマトグラフ
検出器:63Ni 電子捕獲型検出器
カラム:2%ポリエチレングリコールジサクシネート+
5%リン酸(担体:クロモソルブG)
内径4mm 長さ1.8m ガラス管
カラム温度:190℃
注入口温度:230℃
キャリ第一ガス:高純度窒素ガス 120ml/分
注入量:10μl
(b)実験結果
上記実験条件下に得られたガスクロマトグラフは第2図(1)〜(5)、第3図(1)〜(4)に示すとおりである。
第1分画ではいくつかの電子親和性物質が認められたが、この中のピークA,B及びCにγ線照射量に関係があると考えられる大きな差が認められた。
すなわち、ピークAでは非照射対照馬鈴薯に比べ、15krad照射検体では含量にほとんど差が認められないが、30及び60krad照射検体ではこの電子親和性物質の含量は遥かに大である。またピークB及びCについてはそれぞれ非照射検体に比べ、15krad照射検体及び60krad照射検体中の含量が大である。
第2分画については、ピークの数は第1分画の場合に比しはるかに少くクロマトグラムは簡単であるが非照射検体及び15krad照射検体には殆んど見られないピークDが30及び60krad照射検体中に照射線量に応じて多量に検出されこの分画においてもγ線照射による異常物質としての電子親和
Stas−Otto法による抽出分画中第1〜3分画及び総抽出物について、その中に含まれているポーラログラフ的活性物質(酸化、還元性物質)の検出比較を行った。
(a)実験条件
検液の調製:Stas−Otto法による第1分画は0.1N,メタノール塩酸に溶解し、第2及び第3分画は0.1N−塩酸に溶解して得た各溶液をポーラログラフ用検液とした。また、総抽出液は酒石酸々性エタノール抽出液を濾過濃縮し、これをメタノール、ベンゼンの等容混液より製した0.3M塩化リチウム液に溶解しポーラログラフィーに供した。
使用装置:柳本製PA101型ポーラログラフ
(b)実験結果
得られたポーラログラムを第4〜7図に示す。
第1分画では、非照射及び15krad照射検体に0〜−0.1、−0.55及び−0.8Vに明瞭な波が見られ、30及び60krad照射検体には0〜−0.1、−0.8Vに波が明らかに認められるが−0.55Vには、わずかに認められるに過ぎない。
第2分画では非照射、照射全検体とも−0.2V附近に波があり、60kradのみ僅かに−1.1V附近に波が認められる。
第3分画では非照射検体に−0.4V附近に明らかに波が見られるが15、60krad照射検体にあっては−0.4V附近には極く僅か波が認められるに過ぎない。
総抽出分については非照射、照射全検体とも−1.2V附近に波が見られるが照射群の波は一般に小さくなっている。
非照射対照馬鈴薯、それより発芽した芽、及び照射馬鈴薯等について常法によりソラニンを抽出し、硫酸とホルムアルデヒドとにより発色させて比色し、定量的にソラニン含量を比較検討した。ただし、標準品を入手し得なかったので、その絶対量については不明である。
(1)実験方法
非照射検体より芽を除去したもの、切除した芽及び照射検体等を軽く水洗し風乾後細切、20%酢酸液を加えてミキサー中で粉砕均一化する。この200gを分離漏斗に取りエタノール300mlを加えて振盪抽出を行う。ついで抽出物の一定量をクロマトグラフィー用濾紙上に帯状にスポットしイソアミルアルコール−氷酢酸−水(4:1:5)を用いて展開する。展開後濾紙の一部にドラーゲンドルフ試薬を噴霧して発色させ(Rf値:0.35)ソラニン存在部位を確認したのち他の部分のソラニン含有部濾紙を切り取り、稀硫酸を用いてソラニンを溶出し、一定量としその一部を採り氷冷下において濃硫酸10ml 1%ホルムアルデヒド溶液5mlを加えて発色させ比色定量を行った。
(2)実験結果
芽のみの抽出液を用いて前記の試験法によって発色させ、530mμの波長において、検量線が直線部にあることを確かめたのち、芽を除いた非照射および照射検体についての抽出液を530mμにおいて比色定量を行ったところ各検体間に大きな差は認められなかった。
本実験では非照射対照、照射各検体の脂質を主とする分画について、一般に油脂の特性として用いられているヨウ素価、酸価及び過酸化物価を測定し、これら諸恒数の検体間での差の有無について検討を行い、併せて本分画の薄層クロマトグラフィーを行った。
馬鈴薯中の油脂含量は少く(10.1%)、γ線照射馬鈴薯の安全性に占める脂質の重要性は必ずしも大であるとは思われないが、脂質の不飽和結合は特に電磁波の作用を受けてラヂカル反応を起し易く、油脂の諸恒数の測定はγ線照射の化学的影響の指標として意義があるものと考えられる。
(a)試料の調製
非照射及び照射検体各1kgをとり細切後ミキサーを用いて均一化し、上澄と沈澱層とに分ける。上澄はその1/2容づつのクロロホルムで、また沈澱層は約倍容のクロロホルム−メタノール混液(2:1)でそれぞれ2回抽出しクロロホルム層を合し、その1/5容づつの水で2回洗浄したのち硫酸ナトリウムで脱水し、濾過、減圧濃縮し濃縮液を諸恒数測定用試料とする。各検体約10kgについて本操作を行った。
(b)常法に準じてヨウ素価、酸化過酸化物価を測定した。
(c)結果
結果をまとめると次の表の様になる。
非照射 15krad
ヨウ素価 59.4 97.3
酸化 40.3 41.5
過酸化物価 22.3 20.8
30krad 60krad
ヨウ素価 66.8 71.5
酸化 28.4 32.1
過酸化物価 20.5 12.3
(a)試料の調製
前記クロロホルム濃縮液の一部をとり10% n−へキサン溶液とする。不溶物は遠心分離により除去する。
・実験条件
薄層:キーゼルゲルG 110℃ 30分間活性化
展開溶媒:石油エーテル・エーテル・酢酸(80:30:1)
呈色試薬:20%硫酸噴霧後110℃に10分間加湿(その後
さらに150℃に15分間加湿し炭化させ検討)
(b)試験結果
スポットは次のとおりであり非照射検体、照射検体群の間に差は認められなかった。
Rf値 0 0.42 0.45 0.70
色調 黒褐色 黄 灰紫色 黄褐色
Rf値 0.83 0.90 0.97 1.0
色調 褐色 淡褐色 黒褐色 黒紫色
第1分画には中性及び酸性物質が分離されて来るが油脂類は殆んど抽出されない。また水に難溶性の中性、酸性有機物も操作中に除かれる。この分画についてベンゼン−クロロホルム(1:1)等3種の混合溶媒系を用いて薄層クロマトグラフ上に展開し、紫外線燈下に蛍光性物質を検索するほか、ステリン類、長鎖アルキル化合物、フェノール誘導体、その他広い範囲の有機化合物について検出能を有するリンモリブデン酸、諸種のフェノール誘導体の検出試薬である塩化第二鉄、アルコール性水酸化ナトリウム等の諸試液を利用して諸成分の検索を行った。
このような試験の結果発色試薬によっては照射馬鈴薯にのみ認められるような明確なスポットはほとんど現われなかったが蛍光性物質の検索の結果、照射検体に特有なスポットあるいは照射馬鈴薯で特に強く現われるスポット等が認められ、照射によって蛍光性物質が生成あるいは増加することが明かとなった。
第2分画には諸種アルカロイドを含む塩基性物質が分離されて来るが極めて水溶性の高いプトマイン等の塩基あるいはソラニン等エーテル不溶性塩基は操作中に除かれる。馬鈴薯がナス科植物であり、その異常代謝の観点からこの分画の比較検索は最も重要なものの一つと考えられる。この分画について塩基類の展開に適した数種の溶媒系を用いて薄層クロマトグラフ上に展開し、紫外線燈下に蛍光性物質を検索するほか塩基、アルカロイドの発色試薬としてドラーゲンドルフ試液、また一般有機物検出試薬として硫酸第二セリウム試液等を用いて諸成分の検索を行った結果、発色試薬によっては照射検体に特異的にあるいは特に強く認められるようなスポットは発見されなかった。しかしながら蛍光性物質については非照射馬鈴薯の抽出画分には何も認められなかったにも拘らず60krad照射馬鈴薯には少くとも3種の蛍光性物質が認められ、15及び30krad照射検体にも可なり明確に蛍光性物質の存在が認められ、第1分画の場合と同様γ線照射によって一般馬鈴薯にない異常物質の生成していることが明らかとなった。
第3分画は裁判化学においてはアポモルヒネ等エーテル可溶性のフェノール性水酸基等弱酸基を有する塩基類を分離する分画であるが、これについてベンゼン−ギ酸エチル−ギ酸(75:24:1)等2種の混合溶媒系を用いて、薄層クロマトグラフ上に展開し紫外線燈下に蛍光性物質を検索するほか硫酸第2セリウム試液を用いて諸成分の検索を行った結果、後者による発色試験ではγ線照射検体にのみ特有のスポットは何も認められなかったが、蛍光性による検索において60krad照射検体に特に強く認められるスポットがあり、高線量照射によって生成する物質のあることが明らかとなった。
第4分画は裁判化学においてもモルヒネを分離する分画でエーテル不溶アミルアルコール可溶のフェノール性水酸基等弱酸基を有する塩基が集まる。第3分画の場合と同じ2種の混合溶媒系を用いて薄層クロマトグラフ上に展開し蛍光並びにリンモリブデン酸、硫酸セリウム及びドラーゲンドルフ等の発色試薬による試験を行ったところ、蛍光では30及び60krad照射検体に非照射検体に比し強く現われたスポットもあるが、照射検体にのみ現われるようなスポットは認められなかった。一方酢酸エチル−メチルエチルケトン−ギ酸−水(5:3:1:1)によって展開しドラーゲンドルフ試液を噴霧して発色させた場合15krad照射検体に特異なスポットを認めた。しかし他の展開溶媒の際に認めていないので特異成分の濃度は必ずしも大とは思われない。
第2分画は有機溶媒難溶性の諸種の化合物の集る分画であるが、極性の大きな3種の混合溶媒系を用いて薄層クロマトグラフ上に展開し、これらについて蛍光並びにモリブデン酸、硫酸第二セリウム、ドラーゲンドルフ試薬塩化白金沃化カリ等諸種の発色試薬による試験の結果、照射検体にのみ現われるようなスポットは全く認められなかった。しかし、照射検体の場合に濃厚に現われるスポットがいくつか発見され照射により成分濃度に変化を来す物質の存することが明らかとなった。
以上薄層クロマトグラフィーによりγ線照射馬鈴薯中に異常成分が生成あるいは増加していることが認められたが、これらの物質がどの様な化合物であるかはまだ究明されておらずその毒性についても不明である。しかしこれらの化合物の殆んどが発色試薬よってではなく蛍光によってのみ検知されたと云う事実は該化合物の含量が微量であることの証左であろうと考えられる。
Stas−Ottoの主要分画である第1〜3分画についてまず水素焔イオン化検出器によるガスクロマトフラフィーを行った。本法は多少共揮発性のある有機化合物を概ね近似した最小検出量をもって検知しうる一般的な分析法であるが、現在までの実験の結果3種照射検体の各3分画共非照射検体中にない異常成分の含有を裏付けるような成績は全く得られなかった。本分析法は元来高感度のものではないが操作条件について目下さらに検討中である。
つぎに第1及び第2分画について電子捕獲型検出器によるガスクロマトグラフィーを行った。物質の親電子性とその生物活性との間には相関が認められており(5)、例えば塩素系農薬の場合哺乳動物に対するLD50とその農薬の電子吸収係数の積がほぼ一定しており、毒性と親電子性とが正相関を示すといわれ(6)、また発がん性との相関が、ある程度認められている(7)。
このように生物活性に関係の深い親電子性はその物質が揮発性の場合電子捕獲型検出器を装備したガスクロマトグラフにより容易に見出すことが出来る。
実験の結果に示すように馬鈴薯のγ線照射によって生成あるいは増加する電子親和性異常成分の存在が明らかとなった。
しかし一つのクロマトグラム上に現われた幾つかのピークの大小とそれらの物質の含量との間には直接的な関係はなく量が少ない場合も親電子性が大であれば大きなピークとなって現われる。本研究の現段階ではこれら親電子性物質がどのような化合物であるかはまだ究明されておらず、したがってその存在を検知し得てもその電子吸収係数は不明であるが、実験条件とクロマトグラムとから判断する限り電子吸収係数の大きな化合物が多量に含まれているとは考え難い。
ポーラログラフ活性物質は広義の酸化、還元にあずかる諸化合物であって生物活性とも関係が深いと考えられるので、Stas−Otto法による諸分画についてポーラログラフィーを試みた。
実験結果に示す通り第1分画では非照射馬鈴薯中の成分がγ線照射によって破壊され消失したと考えられる成績を得たが、照射による異常成分の生成、増加は認められなかった。第2分画では60krad照射検体にのみ異常成分を示すポーラログラフ波を認めたが、その波高は小さく含量も僅少と考えられる。
第3分画では第1分画の場合と同様非照射検体中のある成分がγ線照射により破壊されて消失したと解釈すべき成績を得たがγ線照射による異常成分の生成、増加は認められなかった。
なお分画する前の酒石酸々性エタノール抽出液についての検索も行ったが、試験成績は上記諸分画の場合と同様、非照射対照検体中のある種の馬鈴薯常成分がγ線照射により減少したと考えられる結果を得たのみで、異常成分の生成、増加は認められなかった。
以上によりポーラログラフ活性物質に関しては、Stas−Otto法抽出物中には馬鈴薯のγ線照射による異常成分の生成、増加は殆んど認められなかったと云える。
馬鈴薯中の既知有害物質ソラニンについてその含量に対するγ線照射の影響を検討した。常法に従って非照射対照検体及び3種の照射検体よりソラニンを抽出し、芽よりの高濃度抽出液を用いて前記検体よりの抽出液中のソラニン濃度がその測定検量線の直線部範囲内にあることを確かめたのち、これら検体抽出液中のソラニン濃度について定量的な比較を行った。
この結果馬鈴薯可食部のソラニン含量はγ線照射によって大きな影響を受けないものと考えられるに至った。
実験の部の記述からもわかるように現在までに取扱ったこの油脂分画は厳密な意味での脂質ではなく多くの脂溶性有機物を含んだものである。従ってヨウ素価は油脂のヨウ素価と云うよりはヨウ素を還元するような還元性物質群の量、また過酸化物価はヨウ化水素を酸化してヨウ素とするような酸化性物質群の量と考えるべきである。酸価も必ずしも脂肪酸のみならず他の有機酸も含めた量を示すものと考えられる。本実験は現在このような条件下の諸恒数の比較であってまだ分子レベルでの検討の段階に至っていないが、15krad照射検体よりの抽出物のヨウ素価の増大及び60krad照射検体抽出物の過酸化物価の減少がやや目立つが、全体的に見てての諸恒数としては大きな差があるとは云えない。またこれら油脂分画の簡単な薄層クロマトグラフィーにおいても現在のところ非照射、照射検体間に差を認めていない。しかし安全性の検討のためには本抽出物中の諸成分のさらに詳細な検索が必要であると思われる。
以上の諸成績を総合すると馬鈴薯のγ線照射による成分の異常増加あるいは異常成分の生成等は、通常の発色等による微量分析では検出されない。
しかしながら将来さらにこれらを解明する研究も必要であろう。
(田辺弘也・川成 厳・武田明治・五十畑悦子・伊藤誉志男・鈴木 隆・
大槻久美子・武田由比子・二郷俊郎・多田全宏・大沢誠喜・辰濃 隆)