原子力利用の普及・拡大に伴って、放射線も工業、農業、医療等の分野において広く利用されるようになり、国民の生活及び福祉の向上に貢献している。このうち、放射線照射による食品保存技術、即ち、食品照射技術は、今や海外においてますます注目を集め、食品照射研究開発は、欧米諸国をはじめ東南アジア諸国においても活発に進められている。
一方、国際連合の食糧農業機関(FAO)、国際原子力機関(IAEA)、世界保健機構(WHO)等の国際機関においては、各国での研究開発の成果を収集、とりまとめて食品照射技術の総合的評価を進めている。特に、照射食品の健全性については、1980年に「照射食品の健全性に関するFAO/IAEA/WHO専門家委員会」が「1Mrad(注)以下の実質平均線量で食品を照射する場合の食品の健全性については、問題とすべき点はない。」旨の結論を出しており、また、FAO/WHO食品規格委員会は、照射食品を国際的に流通させる場合に必要な製造等の規格基準として、1983年にこの結論を承認し、加盟各国に対し、国内法への取り組みを勧告中である。さらに、従来、食品保存のために使用されてきた殺虫剤、殺菌剤等の化学物質については、
このような状況を反映して、世界各国で食品照射の法的許可が進められており、その数は、IAEA資料等によれば、1986年3月現在、我が国を含め33カ国、約60品目(延べ約200品目)に達している。これに加え、米国の食品医薬品局(FDA)は、1986年4月、生鮮果実・生野菜等に対し100krad以下、香辛料、香草類、乾燥野菜に対し3Mrad以下の食品照射を承認したところである。また、食品照射の実用照射を実施している国もIAEA資料等によれば、我が国を含め16カ国に達している。このように、海外諸国においては、食品照射の法的許可、実用化等の動きがかなり活発化している状況にある。
我が国においては、原子力委員会が、昭和42年9月、食品照射の研究開発は、食品の損失防止、流通の安定化等国民の食生活の合理化に寄与するところが大きいとして、これを原子力特定総合研究に指定するとともに、食品照射研究開発基本計画を策定した。同計画においては、対象品目として、馬鈴薯、玉ねぎ及び米が選定されるとともに、食品照射研究を円滑に実施するために食品照射研究運営会議を設置することが決められた。(その後、対象品目には昭和43年に小麦、ウィンナーソーセージ、水産ねり製品及びみかんの4品目が追加され、対象品目は合計7品目となった。)
本運営会議は、上記計画に基づき研究の総合的推進を図ってきており、既に馬鈴薯については、昭和46年に、玉ねぎについては昭和55年に、米及び小麦については昭和58年に、また、ウインナーソーセージ及び水産ねり製品については昭和60年にそれぞれ研究成果をとりまとめ報告しているが、みかんについても当初の目標を達成したので、ここに、その成果をとりまとめ報告する。
(注)本報告書では、吸収線量の単位にはradを使用した。(100rad=1Gy)
我が国の温州みかんの栽培は、農林水産省による果樹栽培育成の結果、近年その規模を増しており、昭和60年度には、約250万トンに達している。
しかしながら、温州みかんは流通、貯蔵中に表面に付着したあおかび(Penicillium italicum)及びみどりかび(Penicillium digitatum)等の発生により変敗を起こす。本研究の実施が検討された時点での推定では、かび発生による損耗は全生産量の5%に当たる量にのぼっているとみられた。さらに、温州みかんの貯蔵期間を延長することにより、果汁工場への原料の安定供給を図ることができる。現在は、収穫期に搾汁したものを濃縮、貯蔵し、端境期に果汁に還元しているが、新鮮果を用いたものよりも風味が落ちることは避けられない。
温州みかんの表面に発生するかびは、放射線照射によって殺菌できると考えられる。しかし、温州みかんは、欧米諸国のかんきつ類に比べ放射線照射により品質が影響を受け易いので、透過力の強いガンマ線では、かびの発生防止に不十分な線量でも果肉に異臭が発生し易く、食品としての価値が低下する。そこで、本研究では、透過力の弱い電子線を用いて、温州みかんの表面殺菌を行い、食味に変化を与えないで貯蔵性を高める方法について研究開発を推進することとした。
本研究は、昭和45年度から次の2つの項目について実施した。
みかんに対する電子線の適正線量、かび発生抑制効果、照射の影響、照射方法、貯蔵条件その他実用化に当たって必要な技術的検討を、農林水産省食品総合研究所、日本原子力研究所高崎研究所及び社団法人日本アイソトープ協会において実施した。
照射したみかんの健全性について、栄養価の変化及び毒性という観点から検討した。栄養価の変化については、主要栄養成分についての化学実験及びラットを用いた動物実験を厚生省国立栄養研究所において実施した。毒性については、慢性毒性試験(発がん性試験を含む)及び世代試験(催奇形性試験を含む)を厚生省国立衛生試験所で実施し、変異原性試験を厚生省国立衛生試験所及び財団法人食品薬品安全センターにおいて実施した。
温州みかんに対する放射線照射の適正線量、照射効果及び照射温州みかんの貯蔵性等について検討した。照射には電子加速器から発生する電子線を用いた。試料には収穫後薬剤処理をしていない温州みかんを使用した。
ア)温州みかんに対する適正線量については、収穫後、予措(貯蔵用みかんについて、果皮の生理活性を低くし品質劣化及びかびによる腐敗を防止するため、慣行的に行われている予備的乾燥)した後、5℃、相対湿度85%で貯蔵したものを試料とし、0.2〜1.5MeVの各エネルギーの電子線で0〜500kradまでの範囲で照射を行った後、低温(3〜5℃)または室温(16〜25℃)で、3カ月間貯蔵し、外観について肉眼検査を行った。この結果、1MeVのエネルギーの電子線を照射し室温に貯蔵したものは貯蔵後に果皮の褐変が認められ、褐変果の割合は、照射した線量に応じていた。照射後低温に貯蔵した場合は、褐変の発生は著しく抑制された。電子線のエネルギーを0.1〜1.5MeVまで変えて200kradの照射を行った結果、0.2MeVの場合は照射による果皮の褐変は認められないが、0.5MeV以上では電子線のエネルギーと褐変発生との間に明らかな相関があった。
イ)みかんの収穫時期ならびに収穫後の予措の影響を検討するために7、8分着色時と完全着色時に収穫し、さらに予措温度を5、10及び20℃の各温度で行った試料に150kradの電子線照射を行い、貯蔵後の褐変発生状況を観察した。この結果、7、8分着色果は完全着色果より明らかに褐変が多くあらわれ、完全着色果にあっては、収穫後1カ月目に照射したものの方が、半カ月のものよりも褐変発生が少なかった。予措温度は高いほど褐変の発生率は高かった。
ウ)放射線照射による温州みかんのかび発生抑制効果については、収穫後5℃に1週間貯蔵した試料にみどりかび(Penicillium digitatum)の胞子を接種し、50〜250kradの照射を行い、低温(5〜10℃)で40日間貯蔵し、かびの発生状況を観察した。この結果、150〜250kradの照射を行った試料では、かびの発生は認められなかった。電子線のエネルギーを0.1〜1.5MeVまで変えて200kradの照射を行い、3℃で3カ月間貯蔵した結果、0.5MeVでかび発生抑制効果は最も強く、0.9MeVや1.5MeVでは0.5MeVよりもかび発生率が高くなった。
エ)さらに、収穫後5℃で1カ月間予措した試料にみどりかび(Penicillium digitatum)、あおかび(Penicillium italicum)及び はいいろかび(Botrytis cinerea)の胞子を接種し、0.5MeVの電子線で150kradの照射を行った後、室温(20〜22℃)及び低温(4℃)で貯蔵し、かび発生抑制効果を観察したところ、低温貯蔵では、室温貯蔵よりも著しい抑制効果を示した。
オ)放射線照射時の線量率の影響を検討するために、電子加速器のビーム電流を0.1〜1.0mAに変えて、0.5MeVで200kradの照射を行い、貯蔵後の果皮褐変とかび発生を観察した。この結果、褐変については電流の大きさによる影響は認められなかったが、かび発生については電流の大きい方がかび発生が抑制される傾向を示した。
以上の結果から、0.5MeVのエネルギー電子線を用いて、150krad(注)の照射を行えば温州みかんの表面のかびを殺菌でき、照射後低温貯蔵を行えば果皮の褐変も抑制でき、2〜3カ月の貯蔵が可能であることが認められた。
(注)本線量は適正照射線量であり、実際の照射ではみかん表面の部位によりその線量は幅のあるものとなる。
電子線照射が、温州みかんの品質に与える影響を評価するために、照射温州みかんの官能検査を行うとともに、照射温州みかんの果皮中の香気成分、有機酸、カロチノイド、フェノール物質ならびに酵素活性の変化について検討した。この結果、150krad照射した温州みかんの官能評価は、非照射のものと差はなかった。香気成分については、150krad照射し1カ月間貯蔵した試料の香気中の炭化水素ならびに含酸素化合物の減少が認められた。有機酸ならびにアスコルビン酸については150kradの照射による影響は認められなかった。カロチノイドならびにフェノール含有量は150kradの照射で一時的に増加するが、貯蔵後に非照射のものと同一量になった。カロチノイドパターンについては150kradの照射による影響は認められなかった。フェニルアラニンアンモニアリアーゼ活性は150kradの照射で4倍になり、20℃で貯蔵すると急激に低下したが、5℃貯蔵では1カ月後でも非照射の2倍であった。
電子線による温州みかん表面のかび発生抑制を目的とした実用規模照射の可能性を評価するために、みかん表皮を均一に照射するための条件及びコンベアの反転照射方式により連続照射した場合の照射コストについて検討した。照射装置としては、変圧器型電子加速器または共振変圧器型電子加速器を用い、電子線エネルギー0.2〜1.5MeVで照射し、CTAフィルムまたはブルーセロファンなどで線量分布を測定した。この結果、みかん表面の線量分布は、コンベア中心部においては比較的均一であり、0.2〜0.5MeVのエネルギーでは、反転照射により±10%程度の誤差で均一照射が可能であり、0.75〜1.5MeVではみかん赤道部の吸収線量が大きくなる傾向が認められた。照射時のみかんの間隔は、2cm程度離せば線量均一度に及ぼす影響は認められなかった。また、みかん果皮の電子線透過性は、0.3〜0.5MeVのエネルギーで100〜200μmであった。
次に、0.5MeV、電流3mAのエネルギー条件でスキャンナー窓面(窓長さ45cm)からの距離を変えて空間線量分布を測定したところ、70cmの距離が最も良好であった。しかし、スキャンナー両端部の均一度が悪く、均一度は、3.7以下となった。そこで巾65cm、長さ38cmの三分割型パレット(計28個のみかんが2cm間隔で載る。)を工夫して両端部を11度スキャンナー窓面に傾けて反転照射したところパレット上の全みかんの線量均一度は2.0以内におさまった。
みかんのかび発生抑制のための適正照射条件は、0.5MeV、150kradとされている。一方、温州みかんの照射時期は、11月から12月の約2カ月間であり、必要照射処理量は、1果汁工場の年間処理量が1万〜10万トン程度のため、稼働日数50日、1日の稼働時間7.5時間として26.6〜266トン/時となる。従って、みかん以外にも使用可能な多目的電子加速器を設置して年間2カ月をみかん照射に用いた場合、みかん1kg当たりの照射コストは、1日の処理量200トンで1.2円、2000トンで0.12円となり、実用的にも十分に採算が合うと見なされる。
ビタミンCの給源として重要な役割を果たしているみかんのビタミンCが、電子線照射によって変化するかどうかを検討した。
試料としては、非照射及び150krad電子線(0.5MeV)照射した温州みかんの果肉を用い、インドフェノールを用いるヒドラジン比色法によって総ビタミンC量の変化を測定したところ差は認められなかった。また、30日間及び110日間5℃貯蔵後においても、非照射及び150krad電子線照射で差は認められなかった。
次に、電子線照射みかんの総合的栄養価に対する影響を評価するため、ラットに非照射または150krad電子線照射のみかんを含む飼料を1カ月間及び3カ月間給与し、体重増加量、総摂餌量、主要臓器重量などから成長・発育を比較したところ、照射による影響は認められなかった。また、生殖腺の発育を支配するホルモンである血清テストステロン量に関しても、昼間及び夜間いずれも、電子線照射みかん給与群、非照射みかん給与群間に差は認められなかった。
電子線照射みかんを長期間摂取することによって、生体が障害を受けるか否かを評価するために、マウス、ラット及びカニクイザルを用いた慢性毒性試験を行った。
動物に1/5濃縮ジュースとした非照射及び150krad電子線照射温州みかんを6w/w%(ラットでは2w/w%も実施)の割合で添加した飼料を24カ月間にわたって摂取させ、飼育期間中の一般状態、体重、摂餌量、血液形態学的検査、血清生化学的検査、死亡率、臓器重量、病理学的検査及び腫瘍発生数について検査した。
この結果、マウス、ラット及びカニクイザルの血液形態学的検査及び血清生化学的検査で、照射群と非照射群の間で有意の差を示す項目が散発的に認められたが、一定傾向を示す変化は認められない。また、その他の検査では差は認められなかった。
以上の結果を総合的に判断すると、本実験では照射によると見なされる影響は認められなかった。
電子線照射みかんを摂取することによる次世代への影響を評価するために、1/5濃縮ジュースとした非照射及び150krad電子線照射温州みかんを各々6w/w%の割合で添加した飼料でマウスを3世代にわたって飼育した。各世代について一般状態、体重、摂餌量、繁殖生理値(交配率、妊娠率及び妊娠末期胎仔の性別、体重、外形異常等)、新生仔の離乳時の検査(生存率、剖検所見及び臓器重量等)ならびに胎仔及び新生仔の骨格を検査した。
妊娠末期胎仔及び新生仔の骨格検査により一部の項目で対照群と照射群及び非照射群と照射群との間で有意差を認めたが、世代間に一定の傾向は認められない。
以上の結果を総合的に判断すると、本実験において照射によると見なされる影響は認められなかった。
照射みかんの遺伝的安全性を評価するため、非照射及び150krad電子線照射温州みかんのジュースについて、細菌による遺伝子突然変異試験、ほ乳動物培養細胞による染色体異常試験、マウスを用いる小核試験及び優性致死試験を行った。その結果、いずれの試験項目についても、照射による影響は認められなかった。
放射線照射によるみかんの表面殺菌に関する研究は、原子力委員会が定めた食品照射研究開発基本計画に基づいて実施され、所期の目的を達成した。この研究は、温州みかんの表面に電子線を照射することにより、かびの発生を抑制し、貯蔵期間の延長を図るとともに、照射したみかんの健全性を評価することを内容として実施した。この結果、みかんの表面に150kradの電子線を照射することにより、品質を損なうことなく、かびを大幅に殺菌できることが明らかになった。また、電子線を照射したみかんを用いた栄養試験、毒性試験等の各種試験の結果、電子線の照射によって、みかんの食品としての健全性が損なわれるような事象を見いだすことはできなかった。しかしながら、照射後、室温で貯蔵した場合にはかび発生抑制効果が少なく、貯蔵後に果皮の褐変発生が認められることもあり、低温貯蔵が必要であること、また、電子線のエネルギーが0.5MeV以上の場合、エネルギーと褐変発生との間に相関関係があることが明らかになった。
以上の結果から、みかんの表面を電子線照射により殺菌し、貯蔵期間の延長を図るには、0.5MeVのエネルギーの電子線を用いて150kradで照射した後、低温貯蔵することが適当であり、2〜3カ月間の貯蔵が可能となることが明らかになった。
当運営会議としては、本研究成果を基に、電子線照射によるみかんの表面殺菌技術が関係者の協力の下に実用化に移されることを期待する。
なお、海外においては、「はしがき」に述べたように、食品照射は、研究開発段階から実用化段階へと移行しつつある状況にあり、放射線を照射した果実、野菜、香辛料等が国際的に流通する日も遠い将来ではない情勢にあると考えられる。このような観点から、我が国においても、食品照射研究開発基本計画に基づき詳細な研究を実施した結果、温州みかんを含めすべての品目についてその健全性において危惧すべき事象を見いだすことができなかったことは、今後の実用化の上で有意義な成果である。
放射線照射による食品の保存技術の実用化に当たっては、法的な規制、経済性等の検討、そして何よりも国民的合意が必要なことは論をまたないところであるが、原子力委員会が定めた計画に基づいて実施された食品照射研究開発ほど各分野の英智を集め、長期間にわたって安全性等について研究を進めた保存技術研究開発は他に例を見ない。また、経済性についても、近年需要が高まっている医療用器具の滅菌及び実験動物用飼料の滅菌等と食品照射技術は、技術的には共通の部分が多く、設備の共用等によりコストの低減化を図ることも十分可能であることを付記する。
栗飯原 景 昭 厚生省国立予防衛生研究所食品衛生部長
飯 塚 広 東京理科大学理工学部教授
石 館 基 厚生省国立衛生試験所安全性生物試験研究
センター変異原性部長
岩 原 繁 雄 (財)食品薬品安全センター秦野研究所
食品環境部長
田 島 真 農林水産省食品総合研究所食品流通部
放射線利用研究室長
池 田 正 道 東京都立アイソトープ総合研究所長
田 村 直 幸 日本原子力研究所高崎研究所開発部長
鈴 江 緑衣郎 厚生省国立栄養研究所長
戸 部 満寿夫 厚生省国立衛生試験所安全性生物試験研究
センター長
主査 藤 巻 正 生 前お茶の水女子大学長
室 橋 正 男 日清製粉(株)顧問
寺 松 尚 厚生省大臣官房審議官
西 尾 敏 彦 農林水産省農林水産技術会議事務局研究
総務官
井 田 勝 久 科学技術庁長官官房審議官
伊 藤 均 日本原子力研究所高崎研究所開発部照射利用
開発室主任研究員
主査 岩 原 繁 雄 (財)食品薬品安全センター秦野研究所
食品環境部長
江 指 隆 年 厚生省国立栄養研究所成人栄養部成人栄養
研究室長
主査代理
岡 沢 精 茂 (故人)
田 島 真 農林水産省食品総合研究所食品流通部放射線
利用研究室長
土 田 雅 子 厚生省国立予防衛生研究所食品衛生部主任
研究官
降 矢 強 厚生省国立衛生試験所安全性生物試験研究
センター毒性部毒性第二室長