多くの人達は「放射線で処理した食品」に対して拒否反応を示すであろう。しかし、同じ放射線に属しても「電子線で処理した」とか「X線やガンマ線で処理した」と言われれば拒否反応はだいぶ和らぐと思われる。このような「放射線」と「放射能」を混同した拒否反応は「石油タンパク質」の際にもあり、一般の人達は石油で合成したタンパク質と勘違いして反発し、石油を食べさせて飼育した微生物の菌体を飼料に利用しようとしたことは印象に残らなかったようである。放射線で起こる食品成分の分解・化学反応は加熱処理と似ており、発癌性物質の生成は加熱処理の方が多い傾向があることが科学的に明らかになっているにもかかわらず、放射線と放射能を混同したイメージによる誤解は一朝一夕には拭いがたいものがある。また、多くの人達は新しい食品加工処理技術に対しても拒否反応を感じるようである。たとえば、加熱滅菌(完全殺菌)した缶詰食品は今でこそ一般食品として普及しているが、19世紀初期のナポレオン戦争の時代に発明されて軍用食として利用されていたにもかかわらず一般に普及するのに約100年かかっている。牛乳の加熱による消毒殺菌(部分殺菌:非耐熱性菌の殺菌)も19世紀の半ばに開発され、生牛乳中の病原菌による小児の死亡率が加熱処理で著しく減少するなど公衆衛生上の利点があったにもかかわらず、普及するのに50年以上かかっている。当時、牛乳の加熱殺菌に反対した理由の一つは、劣悪な品質および不適切な生産工程をごまかす手段に加熱殺菌を用いるというものであった。この種の反対理由は現在でも固形食品の殺虫・殺菌法として優れている食品照射に対しても用いられている。
食品照射技術の原理は第二次世界大戦前に提案されていたが、本格的な開発は第二次世界大戦終了後に米国で開始された。当初、米国における研究は肉類等の完全殺菌(滅菌)が中心であり、初期の研究段階では照射臭の発生や過剰照射食品を用いた動物の飼育試験、照射および非照射食品の過剰投餌による動物の異常など問題の多い事例も多く見られた。1950年代初期には米国のほかに英国やフランス、旧西ドイツなどのヨーロッパ諸国、旧ソ連などでも食品照射の研究開発が始まった。食品照射初期の研究は貯蔵期間の延長を目的としたものが多かったが、1980年代以降は食品衛生の改善、植物防疫を目的とする応用が注目されるようになってきている。本連載では先ずわが国における食品照射開発の経緯について解説し、その後に各研究項目について国内、国外の研究の経緯と現状に ついて述べる予定である。
わが国の食品照射研究は欧米諸国より遅れ表1に示すように1950年代前半ころより開始され、冷凍アサリの殺菌効果、馬鈴薯やタマネギの発芽防止、各種微生物の放射線感受性試験などの基礎的研究が行われた。
当時は米国などで食品照射の研究が活発に行われており、わが国の食品関連の学会関係者の間では食品照射は最先端の技術として注目されていた。もちろん、欧米諸国でも食品照射の研究は順調に進展していたわけでなく、試行錯誤を重ねながら開発が行われてきている。たとえば、放射線による馬鈴薯の発芽抑制効果が発見されたのは1954年のSparrowとChristensenによるものであり、それ以前は殺菌効果が主に注目されていた。
わが国では1960年代に入ると多くの研究機関や大学で研究が開始され、1965年には学会としての日本食品照射研究協議会が発足した。当時、食品照射技術が注目されたのは、簡単な操作で大量の食品を処理でき、生鮮状態のままで処理でき、温度上昇が殆ど問題にならない点にあった。このような研究の進展を受けて1967年に原子力委員会は食品照射をナショナルプロジェクトとして原子力特定総合研究に指定した(核融合研究なども特定総合研究に指定されていた)。これを受けて、各省庁の研究機関や公的研究機関、大学による共同研究開発が開始された。特定総合研究に選ばれた食料品類は馬鈴薯、タマネギ、米、小麦、ウインナソーセージ、水産練り製品、温州ミカンの7品目であり、貯蔵中ならびに輸送中の腐敗、虫害、発芽などによる損失防止に放射線処理が有効なことが注目された。研究項目は発芽防止や殺虫・殺菌などの照射効果、照射食品の安全性や栄養適性などを評価する健全性、均一照射や線量測定などの照射技術、包装材の放射線劣化に関する試験、照射の有無を判別する検知技術等であり、図-1に示すように国公立の研究機関、大学によって研究が分担された。また、上記7品目の健全性試験を行うのに必要な試料を調整するためのガンマ線照射施設および共同利用施設が日本原子力研究所高崎研究所に設置された。もちろん、当時の研究機関名は国立衛生試験所が現在では国立医薬品食品衛生研究所となったり、国立予防衛生研究所が国立感染症研究所となったり名前が変わったところが多いが。
これらの特定総合研究では初めての研究ということもあって、実験動物への照射および非照射食品の過剰投与による異常、タマネギの発芽活動開始後の照射による発芽発生、ウインナソーセージの照射による異臭の発生など様々な問題に直面した。ことに、照射タマネギの動物による安全性試験では投与量が多すぎたために非照射飼料を含む全ての飼料で飼育動物に異常が発生し、最適投与量を求めて試験をやり直すという事態となった。このため、特定総合研究の期間も1974年終了の予定が延長となり1983年まで研究は継続された。このような多分野にわたるプロジェクト研究により表-2に示すように7品目全ての食品類で健全性に問題がないことが明らかになり、照射効果もほぼ満足する結果が得られた。しかし、照射効果の研究では品目によっては食味が若干低下するものがあるなど加工処理技術の研究が引き続き必要な品目もあった。照射技術の研究もほぼ満足する成果が得られたが照射装置の進歩に合わせた研究が引き続き必要であろう。照射の有無を判別する検知法の研究では実用的な方法は確立できなかった。当時の検知法の研究は簡単な化学分析や生物学的方法に依存しており、今日のような精密な物理的、化学的方法や生化学的方法は採用されていなかった。
わが国で原子力特定総合研究が活発に行われた1967年から1975年当時の米国での食品照射研究は低迷しており、わが国は食品照射研究の先進国となった。そして、この研究プロジェクトの進展を受けて、旧厚生省は馬鈴薯等の照射を許可する前段階として食品への放射線処理を原則的に禁止するという法令を定めた。これは、照射食品が危険ということではなく法的規制のための処置であった。この後、1972年に馬鈴薯のガンマ線による発芽防止処理が旧厚生省により認可され、馬鈴薯照射施設が北海道の士幌農協に建設された。本施設は世界で初めての食品照射専用施設であり、コバルト−60・20万キュリー、月間1.5万トンの処理能力を持つ設計であった。本施設は1974年より運転が開始され、毎年1万トン以上が青果市場に出回り、端境期の価格安定化に寄与した。馬鈴薯照射には士幌農協など5農協が参加しており、商業化成功の要因としては図-2に示すように従来の生産ラインの中間に照射施設を設置して、人件費や輸送費などの増加がほとんどなく、照射時期が10月から3月まで取れること、農協の実用化への熱意などが関係していたと思われる。
一方、世界初の照射食品実用化ということもあって、一部の消費者団体による反対運動も激しく起こった。これらの消費者団体は石油タンパク質の実用化反対運動で成功を収めていたこともあって、反対運動は長期にわたり執拗に続けられた。また、この運動はマスコミの「放射能ジャガイモ」との誤報も重なって拡大し、その後の食品照射研究低迷の原因ともなった。また、1978年には乾燥野菜を不法に放射線殺菌するというベビーフード事件が起こり、食品照射反対運動に拍車を加えた。乾燥野菜の放射線殺菌は今日では欧米諸国で実用化されているが、当時は香辛料の放射線殺菌でさえ実用化されていない時代であった。このため、マスコミでも乾燥野菜の違法殺菌が連日報道され、日本の食品照射研究は大きな打撃を受けた。
食品照射反対運動の主要な論点は、1) 旧ソ連のクチン氏らの照射馬鈴薯でラジオトキシンが生成するという報告やインドの照射小麦を栄養失調児に与えた場合の血液中のポリプロイド(染色体異常の一種)増加の報告、2)原子力特定総合研究における動物試験で特定食品の過剰投与により非照射でも見られた動物の異常を照射のせいにする、3) 動物試験での個体差程度のデータを拡大解釈する、などであった。しかし、旧ソ連やインドのデータは試験方法そのものに問題があり、追試によっても再現性がないことから国際的に否定されている。国内のデータについても専門家による総合評価や再実験の結果により安全性に問題のないことが明らかにされている。
食品照射の原子力特定総合研究は1983年に終了し馬鈴薯以外の品目についても研究成果が次々に得られ原子力委員会に報告された(表-2)。しかし、特定総合研究で許可になったのは馬鈴薯のみであり、他の6品目については許可は得られなかった。特定総合研究で取り上げられた各品目は、それなりに食料供給の安定化と国民の健康保持を目的としたものであり研究の意義はあったと思われる。しかし、これら残りの6品目が実用化されなかった理由としては反対運動や国の農業政策の転換、薬剤処理の継続などが関係していると思われ、ことに反対運動によって旧厚生省や農林水産省の許可や実用化に対する姿勢が慎重になったことが大きく関係している。
なお、原子力特定総合研究の期間には無菌実験動物用飼料の放射線滅菌や医療用具の放射線滅菌が実用化され、カビが産生するカビ毒であるアフラトキシンの放射線耐性や放射線抵抗性菌などの微生物学的安全性の研究も行われた。
わが国の食品照射研究は原子力特定総合研究が終了した後も継続されてきているが、研究者の数は大幅に減少し主に基礎研究が行われてきた。食品照射研究を継続した主要な研究機関は食品総合研究所、日本原子力研究所、国立医薬品食品衛生研究所であり、大学や公立の研究機関も研究に参加している。一方、特定総合研究が終了前後の1980年ころより国際原子力機関と国連食糧農業機関の東南アジア・太平洋地域を中心とする食品照射RCAプロジェクトが発足し、日本も研修生の受け入れ、専門家の派遣等で協力することになった(RCA:Regional Cooperative Agreement for Research, Development and Training Related to Nuclear Science and Technology)。旧科学技術庁は日本の食品照射研究を存続させるためにはRCAプロジェクトへの協力が必要だと判断し積極的に協力体制を整備した。RCAプロジェクトに協力した研究機関は主に日本原子力研究所、食品総合研究所、国立医薬品食品衛生研究所であり、研修生の受け入れ、専門家の派遣、プロジェクト研究の分担、ワークショップや研修コース開催等で協力した。
1980年以後には特定総合研究では取り上げられなかった家畜飼料や香辛料、冷凍魚介類、鶏肉等の殺菌効果、グレープフルーツの殺虫効果等の研究が行われ、東南アジアからの研修生も研究に参加した。また、特定総合研究で取り上げられたタマネギ等についても追加研究が行われた。これらの研究項目は東南アジア地域でも興味がある課題でありRCAプロジェクトにも貢献した。RCAプロジェクトが開始された1980年の第1期から第3期のプロジェクトが終了した1995年まで日本は積極的に協力したが、第4期以後の協力はほとんどなくなった。もっとも、第2期以後のプロジェクト協力は農産物の貿易自由化に慎重な農林水産省等から協力への異論が出され、協力は徐々に減少していった。この当時、旧厚生省は米国からのガンマ線照射されたグレープフルーツの輸出圧力を想定して動物を使った健全性試験を実施して問題のないことを明らかにしている。特定総合研究以後に取り上げられた主な項目の研究成果は表-3に示すとおりであり、海外でも実用化に役立っている。
一方、原子力特定総合研究で照射食品の健全性が明らかになったにもかかわらず、国内での食品照射反対運動は1980年以後も執拗に続けられた。これらの反対運動の論点に反論するために、旧ソ連のクチン氏らの照射馬鈴薯のラジオトキシン説に対しては(財)日本アイソトープ協会が組織した研究グループが追試を行い、照射馬鈴薯にはラジオトキシンの生成はなく、研究方法そのものに問題があることを明らかにした。さらに、(財)日本アイソトープ協会は1986〜1991年に食品照射研究委員会を組織して、国内外で問題になっている健全性の代表的な項目について最新の研究技術で再試験を行った。この研究委員会には約15に及ぶ大学、国公立研究機関の研究者が参加した。取り上げられた研究は誘導放射能、食品成分の変化、変異原性物質の誘発、微生物学的安全性であり、ポリプロイドの問題や照射糖類の変異原性、アフラトキシン産生能の促進効果など主に海外で問題視されている項目について検討した。その結果、表-4に示すように全ての項目において照射食品の健全性に問題がないことが明らかにされた。
1980年以降は食品照射用照射施設として従来のコバルト−60ガンマ線装置の代わりに電子線や制動放射X線を使用しようとする動きが出てきたため、電子線の微生物や食品成分に対する線量率効果、散乱電子線の影響、エネルギー効果等の研究も行われた。そして、線量率効果では影響があるが基本的には生物効果や食品成分の放射線化学的効果はガンマ線、X線、電子線で差がないことを明らかにした。
1990年代に入ると食中毒対策としての病原菌の殺菌や植物検疫への応用を目的とした切り花の殺虫効果の研究が行われた。また、照射の有無を判別する検知法の研究が国立医薬品食品衛生研究所、食品総合研究所、東京都立産業技術研究所を中心に活発に行われるようになり2000年代にも継続されており、物理学的方法、化学的方法、生物学的方法で多くの有望な結果が得られている。また、食品照射のデータベースが日本原子力研究所で整備され、(財)放射線利用振興協会でも放射線利用技術研究データベースの一部として食品照射データベースが整備されており、両者ともインターネットで公開されている。
米国などでの初期の研究およびわが国の原子力特定総合研究で取り上げられた品目は全て食料品の貯蔵期間延長を目的とするものであった。しかし、最近の食品照射の応用は食中毒対策や植物防疫、薬剤処理の代替など食品の安全、衛生対策が注目されるようになってきている。すなわち、牛乳のような液状食品を除き肉製品などの固形食品の衛生化は加熱による消毒殺菌が熱伝導度の関係で困難であり、透過力の優れた放射線処理が適している。また、植物防疫などの応用でも燻蒸や他の物理的処理に比べ放射線処理が適している。しかも、検疫処理に用いられてきた臭化メチル薫蒸は2005年以後はオゾン層破壊物質として先進国では一部の検疫処理を除いて使用が禁止されている。
国際的に見て、食品照射の実用化が活発になったのは1980年前後からであり、最初は香辛料の殺菌が中心であった。1978年にオランダで香辛料の商業照射が開始され、続いてベルギー、フランスで商業照射が開始された。1985年以後になると米国など多くの国で食品照射の実用化が始まった。現在、食品照射の実用化が活発な国は米国、中国、フランス、オランダ、ベルギー、南アフリカ等であり、照射食品は世界各国に流通している。
わが国では馬鈴薯の商業照射が1974年に開始され、世界で最初に食品照射の実用化に成功したにもかかわらず、その後の実用化品目は出ていない。わが国で食品照射の実用化が進展していない理由は、一般消費者の放射線と放射能の混同と反対運動が主な原因と思われる。しかし、士幌農協では32年にわたる馬鈴薯の商業照射の実績があり、このことは業界の熱意さえあれば反対運動に打ち勝って食品照射の実用化が可能であることを示している。近年、馬鈴薯以外で早急な実用化が期待されているのは香辛料の殺菌とニンニクの発芽防止であろう。香辛料については全日本スパイス協会によって2000年12月に旧厚生省に許可申請が出されているにもかかわらず、今もって厚生労働省による許可が出されていない。わが国では香辛料の殺菌処理は高圧水蒸気による気流式加熱殺菌法で行われてきているが、香りが大幅に減少し色調が変化するなどの問題がある。放射線殺菌法ではこれらの問題がなく、自然な状態で殺菌が可能である。ニンニクの場合も加熱処理での発芽防止が可能とされているが品質劣化が問題であり、放射線処理法では品質劣化は問題にならない。
照射食品の健全性については国際的に研究は終了しており、反対運動が問題にしている放射線分解生成物であるシクロブタノン類は鶏肉を59kGy照射しても生成量は極微量であり、公定法による変異原性試験では変異原性はなく、加熱処理でも極微量に生成する可能性がある。照射食品の検知法や照射効果、照射技術については研究課題が残されており、引き続き研究が必要である。しかし、これらの課題は照射食品を許可する障害となるものではない。しかも、米国や中国、韓国などの近隣諸国で食品照射の実用化が進んでおり照射食品が国際的に流通している現状では、わが国だけが食品照射を許可しないのは困難な情勢になっている。
次回以降は食品の照射効果、健全性、照射技術等について研究の歴史と現状について述べていく予定である。
1) 科学技術庁:わが国における食品照射の現状と問題点、1966年。
2) 伊藤 均:照射食品における国内・国外の動向について、RADIOISOTOPES、36(6)、290 - 299(1987)。
3) A. H. Sparrow and E. Christensen : Improved storage quality of potato tubers
after exposure to Co-60 gammas, Nuclenics, August 16 - 17 (1954).
4) 藤巻正生(監修):食品照射の効果と安全性、日本文化振興財団、1991年。
5) 松山 晃、降矢 強、市川富夫、内山貞夫、伊藤 均、林 徹:照射食品、総合食品安全辞典、産業調査会・辞典出版センター、842 - 877、1994年。
6) 食品照射研究委員会:研究成果最終報告書、(財)日本アイソトープ協会、1992年。
7) (独)日本原子力研究開発機構:食品照射データベース、http://takafoir.taka.jaeri.go.jp/。
8) (財)放射線利用振興協会:放射線利用技術データベース、http://w.w.w.rada.or.jp/。
9) 伊藤 均:食品照射の基礎と安全性、JAERI-Review 2001-029、日本原子力研究所、2001。
|