放射線照射は温度上昇が小さく、照射後には薬剤処理において懸念される残留性の問題がないという点で他の食品保存技術よりも優れている。また放射線照射は透過力が強いために最終包装状態で処理できることも既存技術よりも有利な点である。従って香辛料のように加熱により香味が損なわれる恐れがある食材にとっては放射線殺菌が最適とされる。世界中での香辛料の照射は現在100,000トン以上に達していると言われ、わが国においても香辛料関連の業界団体である「全日本スパイス協会」が厚生労働省に対して香辛料照射の許可申請をすでに行っている1)(表-1)。本稿では香辛料の殺菌の現状及び放射線照射の利点をこれまでの研究成果によりわかりやすく解説することで放射線殺菌の必要性を明らかにし、照射香辛料の健全性に関する研究成果から、個別の健全性試験の必要性について論じたい。
香辛料には、種々の植物の芳香性の葉、茎、樹皮、根、花、蕾、種子、果皮など多種類のものが含まれる。香辛料は通常、熱帯、亜熱帯地域に産する植物を乾燥することによって調製されるため、土壌由来の微生物や害虫による汚染は避けられない。なかでも最も多く検出されるのは耐熱性有芽胞細菌で、香辛料1g当たり105〜108個の検出が報告されている3),4)。またカビ毒による被害も無視できない。従って香辛料を多用するハム、ソーセージなどの食肉加工においては食品衛生法に基づき、1g 当たりの芽胞数が,1,000 以下になることが要求されているので香辛料の殺菌は不可欠である。
香辛料の加熱殺菌は、熱による香味、色調の劣化がおこる可能性が高い。従って以前は非加熱殺菌法としてエチレンオキシドガスが利用されていたが、処理後残留しているエチレンオキシドの毒性・発ガン性のため、わが国においては使用が禁止され、代わりに気流式過熱水蒸気殺菌が用いられている。
過熱水蒸気殺菌は香味の劣化を最小限に押さえるために開発され、香辛料を百数十℃の過熱水蒸気に数秒程度暴露することにより、条件によっては黒コショウで一般生菌数が107/gのものが102/gまで殺菌できる5)。しかしながら、ごく短時間の過熱水蒸気の処理であっても香辛料の種類によっては色・風味等に影響を及ぼすものが多い。
一方、ガンマ線や電子線を香辛料に照射した場合には温度上昇の懸念はなく、有芽胞菌に対しては7〜10 kGyの照射で食品衛生法が要求する1g当たり103個以下の菌数が容易に達成できる。またアフラトキシンなどのカビ毒を産生する糸状菌や大腸菌群に対しては、4 kGy程度で十分殺菌できる。
放射線照射と過熱水蒸気処理が香辛料の品質に及ぼす影響についての詳細な比較についての文献は少ないが6)、黒コショウ、バジル、ターメリックに60Coガンマ線を照射した場合と気流式過熱水蒸気殺菌法を適用した場合の報告がある7)。黒コショウの微生物試験の結果、無処理の試料には一般生菌数(1 g当り106〜107個)が検出されたが、60Coガンマ線10kGy処理により102個レベルまで殺菌できることが確認され、気流式過熱蒸気式殺菌処理以上の殺菌効果を示した。香味成分のGC/MSのパターンは、上記三種類によって大きな差は見られなかったが、香味成分の総量は無処理に比べてガンマ線および加熱処理は同程度減少する傾向が見られた(図-1)7)。さらに、GCによる香気成分の分離と訓練された専門家による香気成分同定を組み合わせたGC/Olfactometryによりさらに詳しく分析したところ、黒コショウの香気の主成分であるsabinene,vanilinの含有率は、無処理>ガンマ線>加熱処理の順に減少する傾向があった(図-2) 7)。専門家による官能試験の結果は、14名中8名(57%)がガンマ線処理品の香味を第一位に挙げた7)。
前項において放射線照射が香辛料の殺菌にきわめて有効であることが示されたが、これだけでは一般消費者を納得させることは難しい。一般消費者にとっての大きな懸念は「放射線を当てた香辛料は安全だろうか?健康を害する成分が生じていないだろうか?」ということになろう。わが国においては1967年から1981年までに原子力委員会のもと食品照射特定総合研究が行われ、馬鈴薯(発芽抑制)、タマネギ(発芽抑制)、米(殺虫)、小麦(殺虫)、ウインナーソーセージ(殺菌)、水産練り製品(殺菌)、ミカン(表面殺菌)について安全性には問題のないことが明らかにされている(表-2)9)。香辛料については1986年から1991年までの6年間、日本アイソトープ協会「食品照射研究委員会」によって行われた照射食品の安全性に関する再検討においてコショウを含む数種の香辛料について誘導放射能の再評価10)とサルモネラ菌を用いた変異原性試験(エームス試験)11)が行われ、この面における安全性が確認された。
さらに、国際機関(FAO/IAEA/WHO合同専門家委員会など)においては、照射食品が人間の健康に及ぼす影響について、毒性学的安全性、微生物学的安全性、栄養学的適格性の3項目を総合した「健全性(Wholesomeness)」という概念に基づき、長年にわたり蓄積された膨大な試験結果を検討し、誘導放射能が無視できる60Coガンマ線、137Csガンマ線、10MeV電子線、5MeV変換エックス線を用い、個々の食品の品質を損なわない範囲の照射量においては健全性に問題はないことを確認している9),12)。以下にこれらの検討の中で照射香辛料に対して行われた成分分析や安全性試験の結果を簡単に述べて「香辛料についての安全性試験がさらに必要かどうか」を考える一助としたい。
香辛料を通常45kGyで照射した際に起こる食品中の揮発性物質の損失は、全体の0.01%程度であるとされている。しかしながら、香辛料は複雑で多様な成分を有するため、その分解生成物を網羅的に同定解析した例は報告されていない。
香辛料のような水分含量の少ない乾燥食品においては、水の放射線分解によって生成するラジカル類の間接作用を受けにくく、また、香辛料には特有の抗酸化成分が存在することから、食肉などの水分の多い食品に比べて酸化分解反応を受けにくいと考えられている。放射線特有の分解生成物として肉類の検知の指標とされており、一部の報告で発がんのプロモーション活性が疑われている2-アルキルシクロブタノンが脂質含量の高い香辛料(ナツメグ)中に生成する可能性を完全には否定できないが、香辛料から2-アルキルシクロブタノンを検出した報告はない。
香辛料・生薬類の生理活性成分の放射線分解に関しても活性や毒性が顕著に変化するという報告は見られない13),14)。
照射香辛料の毒性学的安全性評価については、1980年に出されたWHOの10kGy以下の食品の健全性に問題が無いという見解を採用し、多くの国で照射を認可している。また、米国FDAは、上述のように1kGy 照射した食品中の特異的放射線分解生成物は3ppm以下であろうと考え、そのような低いレベルで存在する分解生成物の安全性評価は、食品中に元から微量に含まれる天然の変異原性物質との関係から意味が無いと考え、香辛料のように食品に占める割合が0.01%以下の食品については、30kGy までの照射を行っても安全である、としている9)。
香辛料を用いた毒性試験が国際食品照射プロジェクト(IFIP)15)-18) においてハンガリーで実施されている。この試験では、パプリカ、黒コショウ、スパイスミックス(パプリカ粉末、黒コショウ、オールスパイス、コリアンダー、マジョラム、クミン、ナツメグの混合物)、オニオンパウダー等を用いて、ラットにおける催奇形性試験19)、前述のスパイスミックスを用いたラットにおける優性致死試験20)、マウスの骨髄塗抹標本における小核試験21)、大腸菌におけるファージ誘導試験22),23)、エームス試験24-27)などが実施されているが、いずれも照射による影響は認められていない。
米国でのキイロショウジョウバエを用いた照射オニオンパウダーの遺伝毒性試験の結果28)も陰性であった。前述したようにわが国で実施した4種類のスパイス(黒コショウ、赤唐辛子、ナツメグ、パプリカ)及びマンゴーについてのエームス試験の結果11)も陰性であった。また、最近韓国で行われた韓国産紅朝鮮人参、甘草、陳皮、柴胡などの生薬類(一部香辛料に使うものも含まれる)の復帰突然変異試験及び哺乳動物培養細胞を用いた小核試験の結果29)-30)も陰性であった。このように香辛料類に関して、照射との因果関係において明確な毒性を示したデータは無い。
輸入香辛料にはアフラトキシン(カビ毒)を産生する可能性のある糸状菌(カビ)や、ボツリヌス菌で汚染される可能性があるが、照射による突然変異によってこれらの微生物のアフラトキシン産生能やボツリヌス毒素の産生能が増大する可能性については、実験的に否定されている。なお、5kGyで、アフラトキシン産生菌はほとんど殺菌される。
また、照射香辛料中に存在するボツリヌス菌(芽胞)が照射後に生存し、増殖して食品中に生成毒素を蓄積する可能性については、仮に生残する胞子があったとしても水分含量の低い香辛料中でのボツリヌス菌の増殖および毒素産生は起こりえない。
昨年10月以来内閣府原子力委員会も食品照射に注目し、平成17年10月11日に公表された「原子力政策大綱」に食品照射の知識普及の強化の必要性が謳われた。これを受けて《食品照射専門部会》が設置され、食品照射の内外における現状について調査を行い、昨年10月に報告書、「食品の放射線照射について」が提出され、すでに許可申請が成されている香辛料の殺菌等有効な方法については検討、評価を進め、同時に社会に対する知識普及の推進の必要性を提言している31)。
しかしながら公開フォーラムなどの討論においては表-3に示すように強い反対意見も出されており、食品照射の有益性、安全性について消費者の理解を得ることはかなりの難事業となろう。今年5月22日に放映されたテレビニュース(フジテレビ「スーパーニュース」)の特集「放射線で殺菌 食品照射は安全?」においても香辛料の殺菌における放射線照射の優位性には一定の評価を与えているものの安全性に関しては視聴者に対する街頭インタビューの映像を交え、消費者の間には根強い不安感や疑問の声があることを指摘している。消費者の視点に立ち、きめ細かな息の長い放射線利用や食品照射に関する知識普及活動を継続する必要性を強く感じている。
筆者らは黒ショウ、バジル、ターメリックを用いて現在わが国で行われている過熱水蒸気殺菌と放射線殺菌による品質変化について一般消費者がどの程度感知できるかを調査するために、毎年夏休みの時期に大阪市内の百貨店で開催されてきた放射線と放射線利用に対する知識普及イベント、「みんなのくらしと放射線展」32)に試料を展示し、来場者による官能試験に供した1), 33)。その結果、ガンマ線照射(10 kGy)された黒コショウの香味を第一位に挙げた回答者が全体の約54%を占め、専門家パネルによる評価とも相関性がみられた。
このように消費者が実際の照射された製品に触れ、その有効性を実感することが食品照射の受け入れ促進のために重要であろう。上に述べた香辛料の健全性に関する研究成果は香辛料の放射線殺菌の安全性を専門家に納得させるのには十分であろうと思われる。しかしながら放射線施設や食品照射の実体験の乏しい一般消費者にとっては文献を読むだけで安全性を理解し納得することは極めて困難であるように思われる。 そこで、専門家にとっては明白な実験であっても安全性の理解に不可欠なものについては実験設計や実験を一般消費者に公開し、一般消費者とのコミニュケーションの中で理解を共有しようとするのも一案ではないかと筆者には感じられる。今後香辛料をはじめ食品照射の対象となる種々の食品に対してこのような活動を進めたいと願っている。関係各位の協力が得られれば幸いである。
1) 古田雅一、香辛料の放射線照射、エネルギーレビュー、2006, 5, 19-22(2006).
2) 小林博司、第8回放射線プロセスシンポジウム講演要旨集pp.116-117(2000).
3) 橋際正行、香辛料品質保証のための方策、生薬の品質保証に関する研究会報告集(No. 1)、医薬品・生薬部会、放射線照射促進協議会、pp. 89-93 (2000).
4) L. J. Muhamad, et al., Agric. Biol. Chem., 50(2), 347-355 (1986).
5) 独立行政法人日本原子力研究開発機構「現在取り組むべき食品照射対象に関する調査」報告書、pp.31-32(2006).
6) Leistritz, W. Mehods of bacterial reduction in spices, ACS Symposium Seris, 660(Spices), 7-10(1997).
7) 古田雅一、東村豊、鐘旭東、米村越夫、岩渕久克、原田良一、多田幹郎、放射線殺菌した黒コショウの香気の官能試験とGC/MS分析、「第17回日本香辛料研究会 一学術講演会一」(2002年11月8〜9日,京都)講演要旨集、pp. 11-12.
8) 照射香辛料の健全性評価、独立行政法人日本原子力研究開発機構「現在取り組むべき食品照射対象に関する調査」報告書pp.43-44(2006).
9) 古田雅一、照射食品の健全性、 FFI Journal, 209, No.12, 1069-1078(2004).
10) 古田雅一、10MeV電子線照射食品中の誘導放射能についての評価、食品照射研究委員会研究成果最終報告書、日本アイソトープ協会、4-28(1992).
11) 坂本京子、ガンマー線照射スパイス・マンゴーの変異原性、食品照射研究委員会研究成果最終報告書、日本アイソトープ協会、204-211(1992).
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33) 「みんなのくらしと放射線展」を通してみた照射食品に対する消費者意識、古田雅一、ESI-NEWS, 22, No. 7, 30-324 (2004).
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