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食品照射解説(COMMENT)

専門的解説 食品照射解説資料


発表場所 : 放射線と産業, 115 号, pp. 25-29
著者名 : 伊藤 均
著者所属機関名 :
元 日本原子力研究所高崎研究所
(現 独立行政法人 農業・食品産業技術総合研究機構 食品総合研究所)

発行年月日 : 2007 年

1.はじめに

2.放射線分解生成物の安全性

3.シクロブタノンの問題点

4.変異原性試験

5.発癌性促進試験

6.結論

参考文献

 


放射線分解生成物の安全性

(シクロブタノンは大丈夫か?)

1.はじめに

 ヒトが食品から摂取する一般的な栄養成分は糖類、タンパク質、脂質、ビタミン類、水、無機塩類である。食品に放射線が照射されるとフリーラジカル(遊離基)が生成し栄養成分との化学反応に寄与する。もし、放射線の化学反応でこれらの栄養成分の一部が分解されると栄養バランスを崩すことになる。照射食品の栄養学的評価は食品中の栄養成分の分析、動物の成長および生理機能に与える影響等の試験を基に評価されてきている。その結果、糖類とタンパク質、脂質は放射線に比較的安定であり、50kGyの高線量でも脱酸素した状態では凍結下または乾燥下で照射するかぎり栄養学的に問題のないことが明らかにされている。ビタミン類は放射線で分解されやすく、ビタミンB1がことに分解しやすい。しかし、凍結下または乾燥下ではビタミンB1の分解も50%以下にすぎない。なお、無機塩類や水は放射線でほとんど変化しないし、亜硝酸塩がニトロソアミンの生成を促進することもない。

 食品成分の放射線分解生成物の多くは脂質によるもので、タンパク質や糖類は放射線に対して比較的安定である。なお、脂質を多く含む食品では2−アルキルシクロブタノン類(シクロブタノン)を生成することも分かっている。ここでは、シクロブタノンなどの放射線分解生成物の安全性について考察することにする。

2.放射線分解生成物の安全性

 食品には水が多く含まれているため、放射線を照射するとフリーラジカルの多くは水酸基ラジカル、水和電子、水素ラジカルなどの水分解ラジカルが多く生成され酸化還元反応が起こる。また、水分含量が少ない食品では有機ラジカルも多く生成する。一方、酸素が共存すると過酸化水素も生成するが、過酸化水素は水和電子と連鎖反応を起こすため線量に比例して蓄積することはあり得ず、食品中での蓄積量は1mg/kg以下であり、しかも急速に分解してしまう。なお、水存在下ではフリーラジカルは0.01秒以下で消滅してしまう。

 脂質の多くは水分解ラジカルによる寄与よりも分子鎖内に生成されたラジカルによる反応が中心であり、自動酸化反応、分子内結合反応、脱炭酸反応、脱水素反応が起こる。タンパク質の場合には水酸基ラジカルと水素ラジカルによる水素引き抜き反応と還元的脱アミノ反応が起こる。低分子糖類では水分解ラジカルとの反応により酸化分解物等を生成し、多糖類は低分子糖類を生成しやすい。

 脂質の揮発性放射線分解生成物は表-1に示すように、炭化水素化合物に属すアルカン類、アルケン類等や脂肪酸類、エステル類、アルデヒド類、アルコール類などである。また、酸素共存下では脂肪酸やコレストロール等の酸化による過酸化物を生成することもある。シクロブタノンは脂質を多く含んだ食品類で生成するが、生成量は微量である。タンパク質の分解生成物は有機酸類や芳香属化合物などである。糖類は低分子糖類や有機酸類、アルコール類、アルデヒド類、ケトン類などである。各種の放射線分解生成物の量は50kGyの高線量でも各々μg〜mg/kgと微量である。

 食品の放射線分解生成物は加熱分解生成物と似ており、脂質などは加熱調理でも似たような分解生成物が検出される。脂質等の過酸化物の生成は濃い濃度では動脈硬化等の障害を引き起こすが、加熱調理や可視光等の自動酸化でも過酸化物が生成する。しかも、実際の照射食品中では酸素濃度が低いため、脂質等からの過酸化物の生成はほとんどない。タンパク質や糖類からの変異原性を示す分解生成物は表-2に示すように、過剰な加熱調理の方が生成物の種類が多い傾向が認められる。例えば、アミノ酸と糖の混合水溶液を10kGy照射しても変異原性物質は生成しないが、121℃で加熱すると変異原性物質が生成する。このように、放射線で起こる化学反応の多くは加熱や通常の酸化分解反応、光化学反応でも起こり、人体に対して著しい毒性を示す物質は生成しない。

表-1 牛肉を50kGy照射した場合の揮発性分解生成物
牛肉を50kGy照射した場合の揮発性分解生成物


表-2 変異原性を示す加熱分解生成物と放射線分解生成物の代表例
変異原性を示す加熱分解生成物と放射線分解生成物の代表例

3.シクロブタノンの問題点

 2−アルキルシクロブタノン類(シクロブタノン)は脂質を多く含む照射食品に生成する放射線に特有な分解生成物であるが、食品中での生成量は鶏肉を59kGyの高線量照射しても約1.7mg/kgと微量である。一方、加熱調理ではシクロブタノンは検出されていない。シクロブタノンは室温下では安定であるが、加熱や酸素存在下では分解しやすい。シクロブタノンには2−ドデシルシクロブタノン(2−DCB)、2−テトラデシニルシクロブタノン(2−TCB)、2−テトラデク−5’−エニルシクロブタノン(2−TeCB)などがあるが、食品中に最も多く生成するのは2−DCBであり図-1に示すように脂肪酸の一種パルミチン酸のアシル基−酸素結合部の放射線分解作用によって生成する。シクロブタノンは動物腸内で吸収されにくく、吸収されても代謝分解されやすい傾向がある。

 ドイツの研究によるとラットおよびヒトの組織培養細胞に2−DCBを0.25〜1.25mg/ml加えたところDNAの1本鎖の切断が観察され、弱い変異原性の可能性が疑われた。しかし、シクロブタノンと同様にビタミンCやルチンなどにも同じような作用があるし、パルミチン酸などにもDNA切断能があることが知られている。また、ドイツで行われた実験は照射牛肉や鶏肉に含まれるシクロブタノンの千〜1万倍の濃度であり、細胞死が起こる濃度では染色体の切断も起こるとの指摘もある。また、DNA鎖切断の実験はコメットアッセイ法によるものであり、変異原性試験としては不確実な試験法であり、観察された1本鎖切断は生体内で日常的に起こっており容易に修復され突然変異作用はほとんどないとの指摘もある。さらに、59kGy照射された鶏肉での慢性毒性試験や世代試験、変異原性試験では動物等に異常が認められなかったことから、通常の照射食品中のシクロブタノン濃度では変異原性や毒性はないか極微弱であると世界保健機関や米国食品医薬品局は結論している。一方、微生物を用いた変異原性試験や発癌性促進効果なども調べられている。

図-1 パルミチン酸と 2−ドデシルシクロブタノン(2−DCB)の構造
パルミチン酸と 2−ドデシルシクロブタノン(2−DCB)の構造

4.変異原性試験

 大腸菌変異株によるトリプトファン復帰変異は試験化学物質の短期の変異原性(遺伝毒性)試験法として国際的に認められている。Sommersの研究では2−DCBを小容器内で0.05〜1.0mgの濃度で変異株に作用させ、培養液中でラット肝臓抽出液S9を作用させたものと作用させないもので比較したが、復帰変異は認められていない。ここで用いたラット肝抽出液S9は酵素反応での代謝活性化により変異原性を示す化学物質の検出に使用されている。

 一方、ネズミチフス菌として知られるサルモネラ・タイフィムリウム変異株による復帰変異試験はエームス試験として国際的に用いられてきており、Burnoufら、Sommersら、Gadgilらがシクロブタノン各種の変異原性試験を実施している。本試験で使用された変異株は試験化学物質が起こすDNA鎖断片を入れ替えるフレームシフト変異や塩基対を置換する点突然変異を検出できる。その結果、表-3に示すようにラット肝抽出液S9の有無にかかわらずシクロブタノンの2−DCB等の変異原性は認められなかった。

 酒酵母菌の特殊な変異株はエームス試験では検出できない発癌性物質の検出に用いられている。Sommersらは2−DCBを0.63〜5.0mg/mlとなるように酵母菌変異株に作用させ染色体組み替え試験を行ったが、組み替え比率は2−DCB未添加区と大差がなく発癌性を示さないことを明らかにした。

 大腸菌の特殊な変異株によるDNA損傷を誘導する遺伝子による変異原性試験は復帰変異試験では検知できないDNA損傷を誘導する化学物質を検出できる。Sommersらの結果では変異原性は認められなかった。

 これらの結果から、シクロブタノンにはDNAに作用することによる変異の誘発や染色体の組み替え能がないことが明らかである。

表-3 サルモネラ変異株のエームス試験による5%S9抽出液有無での2−DCBの変異原性評価
サルモネラ変異株のエームス試験による5%S9抽出液有無での2−DCBの変異原性評価

5.発癌性促進試験

 Raulらはウイスター系ラット、各群6匹を用いて、0.005%(ラット1匹当たり1日に約1.6mgの摂取量)の2−TCBおよび2−TeCBのシクロブタノン類を6ヶ月にわたって投与した。しかし、シクロブタノン類投与による急性毒性は認められなかった。シクロブタノン投与開始後3週間、4週間目に発癌剤のアゾキシメタンを全ての動物群に投与した。その結果、発癌剤投与による前癌状態を示す結腸内の異常な細胞組織の出現は3ヶ月後ではシクロブタノン類投与群と未投与群で差は認められなかった。一方、6ヶ月後には前癌状態を示す異常な細胞組織が2−TeCBで有意に増加した。腫瘍の発生は6ヶ月飼育に認められ、腫瘍発生の動物数は4〜5匹でシクロブタノン投与群も未投与群も差は認められなかった。しかし、図-2に示すようにシクロブタノンを投与した動物群での腫瘍の総数は未投与群に比べて約3倍に増加した。すなわち、2−TCB添加群では6匹中4匹、2−TeCB添加群では6匹中3匹の結腸に複数の腫瘍が発生した。これらの結果からシクロブタノンには発癌性はないが、発癌性物質が存在する条件下で大腸癌の発生を促進させる可能性があるとRaulらは推論した。

 この結果に対して、米国食品医薬品局や世界保健機関は6匹の結果では信頼性がなく、得られた結果があいまいであり、用いた動物はこの種の実験に用いるのには不適格であり、人間が照射食品から摂取する量に比べて千倍以上も多く投与していると指摘している。Raulらも脂質を構成する脂肪酸のステアリン酸やオレイン酸には癌抑制作用があり、実際の照射食品中ではシクロブタノンの生成量は極微量であるのに対して脂肪酸の量が圧倒的に多いため、実際にはヒトの健康に問題を及ぼすことはあり得ないと述べている。

図-2 シクロブタノンの発癌性促進作用の可能性
シクロブタノンの発癌性促進作用の可能性

6.結論

 放射線分解生成物は基本的に加熱調理や自然劣化によって生成する分解生成物と類似している。加熱調理ではコゲが生じるほど加熱すると発癌性物質が生成する。しかし、これらの過剰加熱食品でも野菜等と共に食べれば癌の発生は抑制できるであろう。照射食品も酸素共存下で過剰照射すれば過酸化脂質や異臭が若干発生する可能性がある。しかし、適切な照射条件(多くの食品は10kGy以下)を守った食品では健康への悪影響はないであろう。シクロブタノンは放射線に特有な分解生成物ということで問題になっているが、加熱調理等でも生成する可能性があるが熱に不安定のため検出されていないのであろう。シクロブタノンには変異原性の誘発能がないことは多くの研究によって明らかにされているが、発癌促進作用が問題視されている。しかし、動物試験に用いた量が通常の照射食品の千倍以上の濃度であり、実際の食品中には癌抑制物質も多く含まれていることから問題にする必要はないであろう。しかも、米国の59kGy照射した鶏肉の動物試験では癌発生が促進されたという事実はない。

文献

1) 伊藤 均:なぜ食品照射か−その歴史と有用性、[4]照射食品の健全性評価と放射線分解生成物、放射線と産業、No.113、26−31(2007).
2) W. W. Nawar : Volatiles from food irradiation, Food Reviews International, 2, 45 - 78(1986).
3) H. Delincee et al : Genotoxicity of 2-dodecylcyclobutanone, a compound formed on fat-containing food treated by ionizing radiation, Final Report to ICGFI (Project 96 CT 2950).
4) C. H. Sommers : 2-Dodecylcyclobutanone does not induce mutation in the Echerichia coli tryptphan reverse mutation assay, J. Agric. Food Chem., 51, 6367 - 6370(2003).
5) 等々力節子:照射食品中における2−アルキルシクロブタノンの生成とその毒性評価について、食品照射、38、57−71(2003).
6) C. H. Sommers and R. H. Schiestl : 2-Dodecylcyclobutanone does not induce mutations in the Salmonella mutagenicity test or interchromosomal recombination in Saccharomyces cerevisiae, Journal of Food Protection, 67, 1293 - 1298(2004).
7) P. Gadgil and J. S. Smith : Mutagenicity and acute toxicity valuation of 2-dodecylcyclobutanone, Journal of Food Science, 69, C713 - C716(2004).
8) C. H. Sommers and W. J. Mackey : DNA damage-inducible gene expression and formation of 5-fluorouracil-resistant mutation in Escherichia coli to 2-dodecylcyclobutanone, Journal of Food Science, 70, C254 - C257(2005).
9) F. Raul et al : Food-borne radiolytic compounds (2-alkylcyclobutanones) may promote experimental colon carcinogenesis, Nutrition and Cancer, 44, 188 - 191(2002).
10) Federal Register : Rules and Regulations, vol. 70, No. 157, Tuesday, August 16, 2005.

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