大豆蛋白質の栄養価については海外でも見直され、研究が盛んになっている折から、わが国独持の庶民的な食品の一つである揚げは蛋白質のみならず油脂を含み安価な栄養補給源である。したがってこれが長期保存できれば、辺地の人の栄養向上あるいは災害などの時の栄養補給にもなり、さらに日常生活において、より衛生的な販売方法にすることができると考え放射線照射による貯蔵を試みた。またこの食品の組成は比較的簡単であるので、放射線照射を試みるためには良いモデルシステムである。
照射に供した揚げは4〜5cmの正方形で、厚さ1.5cmのもので平均重量は20〜25gであった。1個ずつ0.04mm〜0.07mm厚さのポリエチレンまたはイラックスフイムルに5〜10mmHg真空下で包装し氷冷下8×10・E(4)〜3×10・E(6)R筒外照射を行なった。照射線量の増加とともに異臭が強くなるので主として4×10・E(5)R(線量率5×10・E(3)R/hr)の場合を検討した。
灰分の放射化 4×10・E(5)R照射試料の灰分をG−M管の窓の厚さ2mg/cm2で調べたところ、22〜25c.p.m.で自然計数と同じで放射化は起っていないようであった。現在ではCo−60のエネルギーでは放射化は起らないといわれているのでミネラルの放射化の危険はないと考えて差支えなかろう。
ホルモル法によるアミノ態窒素,TCA沈澱法による非アミノ態窒素およびケルダール法による総窒素量を測定したところ、対照と4×10・E(5)R照射試料との間には差はなかった。また揮発性塩基窒素量を調べたところ第1表に示すごとく、標準偏差を考慮すると照射試料と対照試料との間には差はないと考えられ、従って揮発性塩基窒素は異臭成分には含まれていないと考えられる。
次に蛋白質等の分解により生成するかも知れないと考えられるH2SおよびCH3SHについて検討した。H2Sについては第2表に示すごとく氷冷下3×10・E(6)照射でも生成していない。しかし4×10・E(5)R室温照射した試料では対照の1.6倍のH2Sの生成があった。したがって氷冷下照射はH2S生成を抑制する。同様にメチルメルカプタンも氷冷下照射では第3表に示すごとく標準偏差を考慮すると生成されないようである。したがって氷冷下照射の場合、硫黄化合物は異臭の構成成分ではないであろう。
試料番号 |
窒素のmg % * |
|
対 照 |
4×10・E(5)R** |
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1 2 3 4 平 均 |
1.75 1.89 1.26 1.54 1.61±0.13 |
1.47 1.75 1.40 1.12 1.44±0.13 |
*照射後3日以内に測定した。 **室温11〜17℃。 ±は標準偏差 |
1×10・E(6)R |
1.5×10・E(6)R |
3×10・E(6)R |
0.007(0.011) 0.017(0.026) |
0.016(0.016) 0.015(0.022) |
0.022(0.016) 0.006(0.017) |
注:試料重量5g。( )内は対照試料の価。測定は照射後1〜9日まで経過した ものについて行った。Doryらの方法(J.Agr.Food Chem., 4,881(1956);Ibid.,6,41(1958) |
対 照 |
4×10・E(5)R |
0.166 0.138 0.155 0.245 0.151 0.206 0.194 |
0.186 0.112 0.166 0.135 0.208 0.194 0.175 0.255 |
平均 0.179±0.036 |
0.180±0.039 |
注:試料は2℃で3〜9日保存したものである。 500mμにおける盲検の吸光度は0.170〜0.180 文献 第2表参照 ±は標準偏差 |
主として油脂の分解により生成されるかも知れないと考えられる揮発酸について検討したところ、第4表に示すごとく氷冷下3×10・E(6)Rという高線量でも標準偏差を考慮すると対照と照射試料との間に差はない。またこの揮発酸をペーパークロマトで調べたところ、いずれの試料からも酢酸に相当する単一スポットが検出されたのみである。したがって揮発酸は照射異臭にはあまり関係していないと思われる。
揚げから抽出した油脂について化学分析を行なった結果、照射による影響は少なく、ただわづかながら過酸化物価およびカルボニル量の増加が見られた。前者の増加量はP.O.V.60以下で毒性には関係しないと考えられ、また外皮抽出油の紫外部吸収曲線は揚げ油そのものの曲線とほとんど同じであった。
そこで異臭の原因についてもっとも大きな変化をうけていると考えられる3.2×10・E(6)R(氷冷下)照射試料を用いてさらにくわしく検討した。すなわち外皮油と中実抽出油とに分け、後者を更に中性と酸性脂肪とに分割し、各各について感応検査を行なった。第5表に示すように中実より抽出した中性脂肪の異臭が、もっとも強くついで外皮より抽出した油であった。他方未照射揚げ中実より抽出した油の紫外吸収曲線を調べたところ、未加熱の大豆油の曲線とほとんど同じで加熱による変化は認められなかった。またこれらの抽出油は硫黄を含まないがリンを含有し、ペーパークロマトで調べたところ、レシチン、セファリンおよびイノシタイドを含有していた。第5表に示す各抽出油の化学測定を行なったところ、EとB試料では過酸化物価およびカルボニル量が著しくはないが、明らかに増加していて、沃素価その他は変化していなかった。つぎに紫外部吸収を調べたところ、第1図に示すごとく、E試料は230mμで顕著な吸収増大を示しさらに253および265mμで特徴ある吸収を示した。
第5表の各抽出油に含まれるカルボニルについて単離を試みた。すなわちカラムクロマト法でヒドラゾンをバンドに分割し、各々をさらにペーパークロマトで分離し、各スポットを抽出し紫外部吸収測定を行なった。異臭のもっとも強いE試料の結果を第6表に示す。照射試料は4個のカルボニル化合物からなり、いずれもはっきりした極大を示し、ことにバンド2のRf0.93のものはAlk2,4−dienalと考えられる。これに反し対照射試料7個のカルボニル化合物からなるが、いずれも照射試料のものとは異なり、また紫外部吸収曲線はかなり複雑であった。したがって照射異臭はこれらのカルボニル化合物を主成分とするもので、しかも不安定なものあるいは小分子量のものと思われる。後者については長期保存中および加熱により異臭が消失することから考えられる。またこれらは前に述べたカルボニル量の測定から微量生成されているに過ぎないと考えられる。
別の実験で未照射揚げ中実より抽出した脂肪にトーフ蛋白質を添加し照射を行なった(氷冷下4×10・E(5)R)ところ、蛋白質添加量が増加するにしたがって過酸化物価は減少する傾向を、そしてカルボニル量は増加する傾向を示した。したがって揚げ中実に存在する微量(2〜5%)の油脂成分が水を含む蛋白質との界面で過酸化物を分解し、カルボニル化合物生成を促す反応を起しているのではないかと考えられる。
対 照 |
3×10・E(6)R |
||
皮 |
実 |
皮 |
実 |
34.2 21.3 22.8 |
17.7 20.5 33.8 |
47.1 57.3 48.3 22.3 12.4 |
22.1 11.0 23.5 16.4 |
平均 26.1±4.0 |
24.0±4.9 |
37.5±8.5 |
20.7±3.4 |
±は標準偏差 |
照射した揚げ中実より抽出した中性脂肪 a) 照射した揚げ外皮より抽出した油脂 抽出後照射した中実の中性脂肪 a) 抽出後照射した中実の全脂肪 揚げ油 |
E B D C A |
++++ +++ ++ + ± |
注:a)Folchの方法により分割(J.Biol.Chem., 226,499(1957)) |
a) バンドNo. |
b) Rf |
λmax |
λmin |
照 1 射 2 試 3 料 4 |
0.00 0.93 0.95 0.94 |
(363,367,372)t 365(s),230,250,280 (320,327)d,(382,395)t 325(s),244,280 |
305 348 |
1 対 2 照 試 料 3 4 |
0.00 0.23 0.47 0.69 0.83 0.93 0.87 |
388 c c c c 378 385 |
注:a)カラムの上部から番号をつけたJennigsの方法(Anal.Chem., 31,1117(1959)); b)Kummerow(J.Am.Oil.Chemists Soc., 36,461(1959)) s=strong, ( )d=doublet,( )t=triplet, c=複雑な吸収曲線 |
氷冷下4×10・E(5)R照射した場合の結果を第2図に示す。対照試料では総菌数は中実より外皮に多いが、照射試料では顕著な差はない。対照は13日目にやや腐敗し初め17日目には完全に腐敗していたが、総菌数の増加はあまりはっきりしていない。ことに中実の場合やや減少の傾向さえ示している。照射試料は30日の試験期間中菌数は全く増加していないしまた腐敗の現象もなかった。
これらの結果は総菌数の測定のみでは変敗の限界を知ることは困難であることを示す。またこの方法はかなり日数を要するので、つぎに化学測定法について検討した。
変敗の化学測定法 最近食物の変敗の測定に2−チオバルビツル酸法(2−TBA)がよく用いられているので、これと酸度測定法とを比較した。2−TBA法ではマロンアルデヒドによる530mμの吸収が用いられているが、揚げの場合430mμでより強い吸収が見られたので両者を検討した。対照試料を用いた場合を第3図に示す。3日目に外皮の変敗が見られたとき2−TBA法ではいずれの波長でも吸光度は減少し、その後やや上昇の傾向を示し変敗の測定には不適当である。これに反し酸度滴定法では3〜4日の腐敗現象の初期で価が顕著に上昇する。したがって化学測定法としてはこの方法が適当と考えられ、保存期間の測定には酸度滴定法を主として用い、感応検査を併用した。
第7表に示すごとく氷冷下8×10・E(4)R照射では4日目に腐敗し保存効果はないが、氷冷下4×10・E(5)R、照射では20日まで保存期間を延長することができる。
低温照射ではフリーラジカルが試料中にトラップされ「アフター効果」を示すことが考えられるので、これを防ぐ目的と併せて異臭を除去できるのではないかと考え、90℃で10,20,30分スチーミングを試みた。揮発成分について2−TBA法を用いて調べたところ、10分の加熱で価が急激に減少しそれ以後変化しなかった。しかし安全をとり30分スチーミングを行ない貯蔵を試みたところ、4×10・E(5)R照射試料を8ヵ月保存できることがわかった。ここで注目すべきことは普通線量率の高いものほど殺菌効果がよいといわれているが、今回の場合線量率は5×10・E(3)R/hrという小さいものであったにもかゝわらず、スチーミングすることにより保存効果を上げることができるということである。したがってスチーミングの方法をさらに検討すれば、より異臭の少ない線量すなわち4×10・E(5)R以下でも保存期間の延長に効果を示すのではないかと考えられる。これに関する基礎研究が進められることを望む。
貯蔵温度4−13℃ |
a) 日 数 |
照 射 の み 試料10g当り消費した0.05N KOHのml |
照 射 後 スチーミングした |
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対 照 |
8×10・E(4)R |
4×10・E(5)R |
4×10・E(5)R |
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0 4 5 6 7 8 10 12 18 20 35 50 5カ月 8カ月 |
1.51(−) 2.44(±) 4.32(+) 5.89(+++) 5.90(+++) |
1.65(−) 1.87(−) 1.81(−) 5.50(+++) 4.38(++) |
1.56(−) 1.92(−) 1.93(−) 2.00(−) 1.71(−) 1.62(−) 2.66(±) |
(−) (−) (−)b) (−) (−) (−) (−) |
注:a)照射後の日数 b)異臭消失し対照と異ならない。 (−)は新鮮,(±)やや腐敗臭がある,(++)腐敗臭,(+++)完全に腐敗 |
半熟練者21人のパネルで4×10・E(5)R氷冷下照射した揚げをまず油抜きした後醤油一砂糖一水で15分煮て調理揚げにし、3点識別法で検査を行なったところ21人13人が識別し、危険率は1%であった。しかしこの13人の大部分は識別に相当苦心し、また対照をまずいとしたものが21人中6人もいた。したがって素人には判定困難のようである。スチーミングを行なったものと照射のみを行なった試料を調理揚げにし、両者を2点嗜好法で検討したところ、危険率20%で区別できなかった。したがってスチーミングは嗜好検査には効果を示さない。
今後さらに動物実験を行ない照射揚げの安全性を確かめる必要があり、また嗜好試験では新鮮なものに比べてやゝ劣るようであるが、以上の化学検査の結果では毒性を示す物質は生成されていないようであり、さらに保存期間を8ヶ月も延長できるということはある程度実用化の可能性を示すものと考えられる。
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