ボツリヌスE型菌芽胞を接種した魚肉の低線量照射において、しばしば問題となるのは、照射による毒素産生促進効果である。この理由に関しては、〔1〕微生物相の変化、〔2〕魚肉成分の変化、〔3〕芽胞の発芽における活性化、〔4〕発育および毒素産生能の増加などが考えられる。
これらのうち〔3〕については、既に報告〔1〕したとおり、発芽の活性化は放射線によっては起らないことから除外される。本報においては、〔4〕の問題について若干の検討を行なった。すなわち、芽胞に致死線量以下のガンマ線照射を行なった場合、その後の発育と毒素産生に及ぼす影響を共存微生物の全く無い既成培地を用いて実験した。
Clostridium botulinum type E 岩内株芽胞の精製および精製芽胞の毒性試験は、既報〔2〕のとおりである。芽胞蒸留水浮遊液(約1×10・E(8)/ml)のガンマ線照射は、Co−60照射装置を用いて氷水冷却下300Krad照射した。照射後ただちにポークインヒュジョンアガーを用いて生残芽胞数を調べた。照射芽胞および非照射芽胞は、いずれも同一接種量(1×10・E(4)/ml)となるように、Kautterら〔3〕のTPGY培地(500cc容スクリューキャップ付培養びんに300ml入れ)に接種した。接種前のヒートショックは一切行なわなかった。培養温度は30℃および10℃とした。
発育の度合は、培養液のこん濁度(0.D.600mμ)の測定によった。また毒性試験は、培養液2mlについてトリプシンによる活性化処理を行なった後、その0.5mlをマウス腹腔内に注射して生死を判定し、毒素量をMLD/mlで表わした。
培養温度30℃の場合、照射および非照射芽胞の発育ならびに毒素産生状態は、Fig.1に示すとおりである。両者とも培養開始後6時間のラグのあとで発育がみられるが、初期発育速度は照射芽胞の方が非照射芽胞に比べてやゝ優っている。しかし、24時間以後のこん濁度は両者とも同じであった。毒性試験の結果では、明らかに差がみられた。すなわち、照射および非照射芽胞とも培養開始9時間後に毒素産生が認められるが、その際、前者は後者の約5倍の毒素量を示した。しかも、毒素量は発育度とほゞ平行して増加し、33時間後では両者同一となった。
培養温度10℃の場合は、上記30℃の場合と全く逆の結果が得られた。照射および非照射芽胞の発育ならびに毒素産生状態は、Fig.2に示すように、照射芽胞の方が非照射芽胞に比べて明らかに劣っている。両者とも発育は約5日間のラグのあとで起るが、初期発育速度に明らかな差異がみられた。両者とも9日目に最高に達した後、やゝ低下し11日目ではほゞ同一となった。毒素産生状態は、30℃の場合と同様発育曲線とほゞ平行している。培養開始6日後に毒性が認められるが、両者の間にはかなりの差異がみられた。すなわち、非照射芽胞の160MLD/mlに対して、照射芽胞では2.5MLD/mlを示した。しかし、8日以後では両者とも同一となった。全般的にみて、照射および非照射芽胞とも発育および毒素産生は、10℃より30℃の方がはるかに優勢であった。
以上の実験結果から、ボツリヌスE型菌芽胞は致死線量以下のガンマ線照射を受けた場合、照射後の培養温度によって、その発育および毒素産生に全く正反対の効果が生ずることが分った。すなわち、発育至適温度の30℃では促進効果がみられ、至適以下の10℃では遅退効果がみられた。
発育促進効果については、今のところ原因は不明である。同様の事実がボツリヌスF型菌芽胞の照射実験においても報告〔4〕されている。既に報告〔1〕したように、放射線では芽胞の発芽活性化は起こらないから、発芽後の発育生理になんらかの変化をきたしたものと思われる。
一方、発育遅退効果については、先に〔5〕本菌のD値測定の際、照射後の培養温度の低下にともないD値も低くなるというデータにかんがみ、放射線による回復機構が10℃では、30℃に比べてかなり遅れるためではないかと考えられる。
われわれがこれまでに行なった魚肉の接種試験の結果〔2〕,〔6〕によると、10℃保存の場合は大低、毒素産生の促進がみられている。ということは、今回の実験結果とはあいいれないようにみえる。しかし、今回の実験では、魚肉にみられるような種々雑多な微生物が全く存在しない既成培地を使用している。従って照射魚肉における毒素産生促進効果は、むしろ共存微生物の影響と考える方が妥当と思われる。これに関連して、最近Ekulund〔7〕は、低線量照射した魚肉の保存中グルコースおよびリボース含量の消長を調べたところ、非照射コントロールに比べてその消失速度がきわめて遅いことを見出し、この原因は照射による微生物相の変化によるもので、ボツリヌスE型菌の発育と毒素産生にはこれらの糖が不可欠なことから、おそらく魚肉中の共存微生物とボツリヌスE型菌との間に糖の拮抗的利用が行なわれるため、結局照射および非照射試料の間に毒素産生の差が生ずるのであろうとしている。
このように魚肉の低線量照射は、腐敗菌を殺すことによってそのshelf lifeを延ばす利点がある反面、ボツリヌスE型菌の発育と毒素産生に有利な条件を与えるものであり、安全性の上で今後さらに検討を要する問題といえよう。
〔1〕安藤芳明・佐藤秀男:本誌,6,48−53(1971).
〔2〕安藤芳明・佐藤秀男・中川哲雄:北海道衛研所報,21,
176−179(1971).
〔3〕Kautter,D.A.and Lilly,Jr.T.
:J.AOAC,53,710−712(1970).
〔4〕Williams−Walls,M.J.
:Applied Microbiol.17,
128−134(1969).
〔5〕安藤芳明・唐島田隆・小野悌二・飯田広夫:本誌,3,5−12
(1968).
〔6〕安藤芳明・唐島田隆:北海道衛研所報,22(1972).投稿中。
〔7〕Ekulund,M.W.and Poysky,F.T.
:“Preservation of fish by
Irradiation”,pp 125,IAEA,Vienna
(1970).
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