ハンガリーの肉工業に使用されている香辛料の中には、グラム当り8千万から1億といった数の細菌に汚染されているものもあり、そのフローラをしらべてみると、耐熱性の芽胞形成菌が大部分である。肉製品においては、こうした香辛料由来の微生物が原因とされることが多く、また、缶詰工業においては香辛料中に存在する耐熱性の細菌が重大な問題になっている。これらは、加熱の条件を厳しくすれば避けられるかもしれないが、副次的に起る、栄養価の減少とし好性の低下は免がれ難い。香辛料の細菌汚染は、かくて世界中の問題でもあって、微生物のいない香辛料エキスも使用されている。幾つかの国でエチレンオキサイドやプロピレンオキサイドがその殺菌・殺虫に用いられているが、一方ではそれら化学物質の残留のおそれは不可分に起こる。また、水分や無機塩化物の存在下において、エチレンオキサイドの一部はクロロピドリンとなり、プロピレンオキサイドの一部はクロロプロパノールのアイソーマーを作り、両者とも有毒物質であることが指摘されている。そこで、早くから紫外線照射が考えられ、試みられたが十分な結果はえられなかった。それは、紫外線の低透過性に起因している。最近、マイクロウェーブ処理の試みもあったが、全く無効とされた。放射線研究の初期において、高エネルギーの電子線の高線量の照射によって香辛料を殺菌することが試みられ、適当であるとされた。その他、後に行なわれた2−3の研究も、この結論を支持するものであった。然しながら、比較的低線量の放射線の適用について試みはないので、この実験を行なった。
幾つかのタイプのパプリカについて、なるべく菌数の多いものを選んで試料とした。数年の実験の経験から、いろいろのロットから試料を採り、放射線を照射したところ、ほぼ類似の生存曲線をうることができた。曲線は0.35Mradの線量までは急勾配であり、それに続いて比較的緩やかに菌数が低下する、という形をとる。このことは、最初のフローラのうち大部分が比較的放射線感受性のもので占められていることを示めすものであり、0.3から0.4Mradの照射で2ないし3桁の汚染菌の減少をはかりうる。初期の汚染菌量によって異なるが、実用的には、1.5から2.0Mradが滅菌線量である。
ところで、食品の照射においては、菌の環境はきわめて様々であろうが、実際的には室温で大気圧下というのが通常の条件となろう。こうした照射環境では、湿度が問題とされようが、文献上の結果はまちまちである。そこでパプリカを、いろいろの濃度の硫酸溶液と平衡状態におくことによって、その水分性値を0.1から0.90まで(含水量1.7〜21%)かえて照射した。0.3Mradの照射後の生存率でみると、いずれも似たようなものであり、このような水分性値の範囲では、実用的な意味で汚染微生物に対する放射線の殺菌効果にちがいはないといえる。
殺菌の目的は果たしても、パプリカの品質に影響があってはならない。色相、ベンゼン可溶性色素量、カロチノイド含量、カプサイシン含量について、照射したものと、照射しないものとを比較した。その結果、実用的な意味では、照射によるこれらの含量の減少は無視しうるものであった。ビタミンC、リノール酸、リノレン酸および還元糖についても照射の影響をしらべたが、照射による著るしい変化は認められず、これらの結果から、粉末パプリカの品質に対して、放射線は不都合な変化を起さないと結論される。
こうした成分の変化が照射直後には認められなくても、貯蔵中に現われると不都合になる。パプリカを紙袋やアルミ管に入れ、いろいろの温湿度の下に貯蔵した。そしてカロチノイドおよびベンゼン可溶性色素含量をしらべた。貯蔵温度および貯蔵期間によってそれらの減少は起こるが、照射したためといった変化は認められなかった。肉眼的観察によれば、高湿度で0−5℃に貯蔵したパプリカでは、非照射の方が、照射したものにくらべ、表面色が退色した。このような照射による保護的作用は、微生物が照射によって減少し、適当な包装によって、そうした低菌汚染レベルを維持しえたことに、主として関連づけられる。低温においては、水分含量の多い程カロチノイド色素の酸化に対し保護的に働らき、高貯蔵温度においては、表面色相の変化は色素含量ばかりではなく、褐変現象に依存し、それは、パプリカの還元糖に原因がある。そこで、パネルによる色相の変化のチェックを行なってみたところ、照射したものの方が高温の貯蔵における褐変が少なかった。
肉工業ではマジョラム粉、コショウ粉およびパプリカ粉からなる混合香辛料がよく用いられる。この香辛料について照射実験を行なった結果は、パプリカにおけるのと似たような生存曲線を示めした。
さて、経済という立場からいえば、照射線量はそのコストにたちどころに比例するから、滅菌を行なうことより、できるだけ汚染菌を減らすということを狙いとした方がよい。純粋な微生物の培養についてであるが、照射後に残留する微生物は、熱であるとか、保存料だとか、あるいは培地中の水分活性の減少に対し感受性になっているということが、幾つかの実験で明白にされている。とすると、香辛料の照射後でも、こうした関係を応用すれば、なお微生物を減らしうる環境といったものを考えてよいだろう。肉工業では、それは照射香辛料添加後の加熱であり、肉製品の食塩の濃度、換言すれば、水分活性である。そこで最初の著者らの試みは、0.3Mrad照射した香辛料を栄養培地に入れ、加熱し、培地の食塩濃度、すなわち水分活性をかえてみることであった。培地のpHは肉製品の場合と同様に6.4から6.5とした。香辛料と培地の比は1:30とし、加熱条件は80℃10分間とした平板培地も、懸濁培地と同じ食塩濃度に調整し用いた。照射しないと、80℃10分の加熱は影響しないが、0.3Mrad照射したものでは同様の加熱で約80%の菌の減少がみられ、1.5Mradの照射ではその加熱の効果はさらに著るしい。また培地中の食塩濃度は、加熱の有無にかかわらず照射した香辛料の汚染数を低下させる。一方、非照射では、食塩濃度は影響していない。用いた食塩濃度は0.5%,5%,10%で水分活性値とすれば0.99,0.97および0.94であるが、塩漬豚肉の水分活性値として約0.96があげられていることを附記しよう。さて、こうして栄養培地に懸濁し、加熱したものを20から25℃に24時間放置し生菌数をしらべてみると、5%の食塩濃度では菌数の増加はなく、10%の食塩では菌数の減少がみられた。こうしたことから、低線量の照射によって香辛料の汚染菌は熱および食塩に対し感受性になっており、従って完全滅菌線量を選ぶ必要はないし、照射にかかわるコストも引き下げることができよう。
塩漬豚肉の製造について、実際に照射した香辛料を適用、実験してみた。塩漬豚肉原料は、製造にあたって前加熱されているので、汚染菌の大部分は殺されて了う。その後の過程において、特に香辛料の添加によって重大な菌の汚染が起こることがあり、二次的な加熱処理によってさえも、微生物学的観点からみて適当でないこともある。こうしたタイプの製品では、汚染菌量が少ない香辛料を用いることは、微生物学的に良好な製品をうることと同時に、二次加熱処理に要する時間をも短縮しうることが期待される。さて、香辛料を、照射しないもの、0.3Mrad照射したもの、1.5Mrad照射したものの3群に分け、前加熱処理した塩漬豚肉に混合した。これを合成ケーシングに詰め、80℃で煮た。煮る時間は105分および150分とした。香辛料添加前の原料中の菌数はグラムあたり10ないし100であり、香辛中の菌数はグラムあたり百万であった。このことから、相当数の耐熱芽胞が原料に加えられたことがわかる。このようにした塩漬豚肉中の生菌数の分布は均一ではなく、測定してみると構造的に再汚染していることがわかった。105分および150分煮たあとの生菌数をしらべてみると、照射した香辛料を加えることによって、ことに150分の加熱で著るしく菌数が減少しているのが明らかになった。しかし、0.3Mradと1.5Mrad照射との間には有意な差は認められなかった。これら製品について何度もパネルにより、照射、非照射香辛料の添加の品質に及ぼす影響をしらべたが、有意な差は認められなかった。4〜6℃における非照射香辛料添加塩漬肉および照射香辛料添加塩漬肉の、貯蔵中の生菌数をしらべたが、14日間にわたり変化はなかった。
熱の透過の測定を基礎とし、80℃105分の熱処理の相対値を1.0とすれば、150分のそれは3.22,実際の肉工業でのそれは4.03と見積もられた。照射香辛料添加80℃105分加熱後の菌数は、ハンガリア肉研究所の獣医部で行なった菌数調査の結果と同程度であり、しかも、肉工業で現在実行されている条件より80℃105分というのは、温和な処理方法である。こうした結果によれば、比較的低線量の香辛料に対する放射線処理は、その加熱時間を短縮し、しかも製品の安全性を高め、不良品を少なくするということから、実用性の高いものと考えられる。
なお、中央食品研究所では、現在、照射パプリカの安全性について研究を続けている。
|