水産ねり製品(かまぼこ)の殺菌手段として、コバルト60によるγ線照射を実用化するにあたっては、市販のかまぼこが適正線量で処理されたものかどうかを鑑別することが、食品の安全性を確保する上で大きな意義をもっている。われわれは、かまぼこを実用線量で照射し、これによって起る成分変化を追求することにより、照射処理の有無の判別あるいは、処理線量の推定が可能か否かについて検討した。研究方針としては、化学的に不安定な多価不飽和脂肪酸(魚肉中に多い)への影響に主眼をおいた。
防腐剤無添加の特製リテーナ成形かまぼこ(K社に製造委託)。
主原料魚: スケトウダラ無塩冷凍すり身
SA級
副原料 : すり身重量に対し
食塩 2.7%
でん粉(馬鈴薯) 5.0
水 (氷) 20.0
卵白 8.0
砂糖 1.0
グルタミン酸ナトリウム 1.0
5’−イノシン酸ナトリウム 0.0025
5’−グアニル酸ナトリウム 0.0025
みりん(醸造) 2.0
なお一部の実験については市販品(K社)を使用した。
かまぼこは、日本原子力研究所高崎研究所に依頼し、ポリプロピレン包装のまま、コバルト60線源により0、300、450、600krad照射した。
かまぼこからの有機溶媒抽出液および各種脂肪酸標品については、当研究所において、コバルト60によりγ線照射を行った。
かまぼこは製造から照射処理を経て、入手に至るまでに3日を要し、その間の運搬は氷冷下で実施した。入手後実験開始までは、2℃の冷蔵庫に保存した。本条件下では、若干の経時変化はあるが、約1カ月は検体として使用可能であった。
個体差を出来る限り少なくするため、2本のかまぼこから下図(左)に示したように任意の2カ所を切り取り、計4カ所の中心部(右)から必要量を秤取した。しかし、目的によっては表面からも採取した。
Folch法に準じて抽出した。かまぼこは細かく切って3〜10倍量のクロロホルム/メタノール(2:1)とともにブレンダーにかけ、さらに0.9%食塩水(メタノールと同量)を添加後再び混合して、遠心分離の後、下層(主としてクロロホルム画分)をそのまま、あるいは、減圧下で溶媒を溜去して実験に供試した。用いた溶媒の量は、目的によって変え、とくに蛍光測定では、測定対象が変化を受け易いために濃縮などの操作を省き、かつ必要な蛍光強度を得るために抽出効率の点から問題はあるが、あえて3倍量を使用した。
蛋白質:アルカリで可溶化後、ビューレット法による。
脂肪 :Folch法により抽出後、重量法による。
水分 :湿重量と105℃乾燥重量の差
灰分 :500〜600℃で灰化後の重量
炭水化物:湿重量から以上の合計重量を差し引いた値。
かまぼこからの抽出油脂を薄層クロマトグラフィ−により遊離脂肪酸画分と鱗脂質画分に分け、それぞれについてメチル化(三フッ化ホウ素法による)後、ガスクロマトグラフィ−を実施した。
機械:島津GC−6A
測定条件:カラム、10%EGSS−X−クロモソルプW
60/80;カラム温度、190℃;キャリアガス、
窒素40ml/min;検知器、FID
脂肪酸含量は、各試料中のパルミチン酸に対する各脂肪酸の相対的面積比で示した。
過酸化物価は、Folch抽出液(かまぼこ1:溶媒3)をWills法で測定。カルボニル価は、かまぼこのベンゼン抽出液(かまぼこ10gにベンゼン20ml)をジニトロフェニルヒドラジン法によって測定した。蛍光強度は、Folch抽出液を日立分光蛍光光度計MPF4型により、励起波長350nm、蛍光波長420nmで測定し、硫酸キニーネ(1μg/ml 0.1N硫酸)100に対する相対値で示した。
細かく切ったかまぼこ2gに水20mlを加えて、ブレンダーで破砕し、内容物を三角コルベンに移し、さらに水10mlを加えて、80℃、15分加温抽出後、ルミフラビン蛍光法により測定した。
かまぼこの切断面について、上記分光蛍光光度計にMPF用薄層クロマト付属装置を取り付け、薄層スリット5×5mmを用いて蛍光スペクトル(励起波長350nm)、励起スペクトル(蛍光波長420nm)を求めた。なお蛍光強度の基準は、シリカゲル薄層プレートにスポットしたアフラトキシンG1の5ngを100とした。
b),c)は(3)に準じて測定した。なお各測定波長は図中に示した。
かまぼこ切片を、十分量の0.9%食塩水、メタノール、クロロホルムの順に一定時間浸漬し(時々振とう)、可溶性物質を除去後、その表面の蛍光スペクトルをa)に準じて測定した。
照射、非照射かまぼこのクロロホルム抽出液をコーニング試験管に入れ、窒素充填密栓後、γ線(Co−60,線量率60krad/時間)、あるいは紫外線(主波長253.7nm、輻射密度100μW/cm3)照射した。
パルミチン酸、オイレン酸、リノール酸、アラキドン酸、イコサペンタエン酸、ドコサヘキサエン酸(いずれもメチルエステル)の各クロロホルム溶液(0.4〜10mg/ml)をa)に準じて照射した。
アラキドン酸を17%水酸化カリウム・ジエチレングリコール溶液中で、180℃、30分加熱後、尿素分別法により精製した。
日立二波長自記分光光度計556型により測定した。
かまぼこのクロロホルム可溶性画分をヨー素存在下でタングステン光に暴露した。
市販食用油(N社、コーンサラダ油、開缶2日目)をn−ヘキサンにとかし(4mg/ml)、励起、蛍光スペクトルを測定した。
非照射かまぼこの成分組成は表1に示した。脂質含量は、0.81%であった。
成 分 |
% |
水 分 蛋白質 脂 肪 炭水化物 灰 分 |
73.40 11.10 0.81 12.17 2.52 |
非照射かまぼこの抽出油脂中のリン脂質および遊離脂肪酸画分の多価不飽和脂肪酸(イコサペンタエン酸とドコサヘキサエン酸の和)は、いずれも各総脂肪酸の50%以上を占めていた。表2に対照および600krad照射かまぼこの多価不飽和脂肪酸含量を示した。この成績から、600krad照射区では、各脂肪酸とも対照に比べ20〜30%低下していることが分かり、照射による多価不飽和脂肪酸の分解が推定された。
脂質区分 |
脂 肪 酸 |
脂 肪 酸 含 量 * |
減少率(%) |
|
0 krad |
600 krad |
|||
リン脂質 遊離脂肪酸 |
イコサペンタエン酸 ドコサヘキサエン酸 イコサペンタエン酸 ドコサヘキサエン酸 |
0.76 1.35 2.64 1.55 |
0.60 1.04 1.85 1.19 |
21 23 30 23 |
*パルミチン酸を1.0としたときの相対値 |
照射による多価不飽和脂肪酸の分解が示唆された(上記)ので、油脂の変敗について検討を試みた。変敗の度合いを示す指標には、過酸化物価、カルボニル価、蛍光強度を選択した。また試料は、酸素分圧の高い表面と分圧の低い中心部分に分けて測定した。
その結果、過酸化物価は、測定法の感度不良により、照射による影響をとらえることは出来なかった。
カルボニル価は(図1、A)、照射直後600krad照射区の中心部位がやや高い値を示したが、他の線量では表面、中心部ともに低く、照射による差異は認められなかった。また10、25、37℃下で保存し、経時変化を追ったが、いずれの温度条件下でも、特徴的な照射の影響は認められなかった。一般的には、照射に関係なく、時間と共に低下する傾向がみられた。また、中心部に比べ表面のカルボニル価は低く、とくに高温保存のものでこの傾向が強かった。その理由としては、揮発性カルボニルの逃散が考えられる。
蛍光強度(図1、B)は初期においては表面、中心部とも殆ど同値を示し、照射による影響は認められなかった。一方経時的にはカルボニル価と異なり、照射区で僅か乍ら上昇が認められた。時間の経過に伴うカルボニルの減少と蛍光強度の上昇が対応する事実から、リン脂質(フオスファチジルエタノールアミンなど)のアミノ基とアルデヒドの結合による蛍光物質シツフ塩基(−N=C−C=C−N<構造をもつ)の生成が示唆された。
しかし、カルボニル価、蛍光強度等脂質変敗の指標値はいづれも低く、照射によって僅かに差異が生じたとしても、経時的な要因、原料の違い、照射条件のばらつきなどが成績に影響を与え、再現性に乏しく、判別法としては殆ど役立たない。
かまぼこのクロロホルム可溶性画分の蛍光強度は、照射によって殆ど変化を受けなかった。しかし、かまぼこの切断面が紫外線下で照射線量に応じて、青白色の蛍光を発する事実を認めたことが本スペクトル測定のきっかけとなった。
スペクトル測定に先立ち、かまぼこの表面から中心部に向かって5カ所の部位でスペクトルを求め、その再現性を検討した。その結果、表面(僅かに高い)以外の部位では極めて良好な成績が得られることを確認したので、以下の実験はいずれも中心部について実施した。
図2に照射処理2日後、(A)および22日後(B)のかまぼこ切片の励起、蛍光スペクトルを示した。すなわち2日後、照射によって励起スペクトルでは、350nm近辺の蛍光強度の上昇、310〜320nmに対照にはないピークの出現、蛍光スペクトルでは420nm近辺の蛍光強度の上昇などが認められ、いづれも線量に依存した変化を示すことが分かった。22日後では、310〜320nmのピークはそのまま現存し、350nm近辺、420nm近辺の蛍光強度は明らかに増大していた。これらの事実から、310〜320nmのピークは照射による変化に、350nm,420nmのピークは経時変化に関連したものであろうと推定された。そこで各ピークの由来を追及するために、かまぼこをFolch法によって3画分に分け、それぞれについてスペクトルを求めた。
本画分のスペクトルは、図3から明らかなように照射によって蛍光スペクトルの520nmの蛍光強度の低下が認められた。一方紫外線の下で、非照射区では、肉眼でフラビン特有の帯緑黄色の強い蛍光が認められたが、照射区では、線量に応じて蛍光強度は低下し、600kradでは殆ど確認出来なかった。これらの成績から、520nmの蛍光強度の低下は、フラビン化合物の分解によるものではないかと推定された。そこで、ルミフラビン蛍光法によって、蛍光物質の定量と同定を試みた結果(図4)、標準物質のリボフラビンから誘導されたルミフラビンと全く類似した蛍光パターンを示し、かつ線量に応じ蛍光強度が低下していることが分かった。すなわちかまぼこ中に含まれるフラビン化合物が、照射によって分解される事実が明らかとなった。
本画分は脂質画分に相当し、照射により、特徴ある励起スペクトルを示すことが分かった(図5)。すなわち310〜320nmに2峯性のピークが現れ、その強度は線量に依存している事実から、このピークが照射処理と密接に関連したものであることが推定された。この310〜320nmに励起極大、410nmに蛍光極大をもつ物質(X物質と仮称)の本体については、項を改めて記述する。
食塩水、メタノールおよびクロロホルム不溶性画分のスペクトルは、図6、Aに示したように、照射により励起スペクトルでは360nm近辺、蛍光スペクトルでは、420〜430nm近辺に蛍光強度の増大が認められた。これは先にも触れたが、Tappelらの報告している酸化脂質中のアルデヒドと蛋白、アミノ酸、核酸などのアミノ基が結合したシツフ塩基と蛍光特性が一致することから、照射によって類似の反応が起こっていることが推定された。そこでわれわれもこのモデルとして、牛血清アルブミンと酸化リノール酸メチルの反応系を用い、37℃で30分間インキュベートした結果、かまぼこの場合と全く同種のスペクトルを与える物質が生成することが確認された(図6,B)。さらにかまぼこを過酸化水素処理して、かまぼこの脂質を酸化させても同様の成績が得られ、これらの事実から、かまぼこの溶媒不溶性画分に認められた励起極大360nm、蛍光極大420〜430nmを示す蛍光物質は、蛋白と酸化脂質の複合体によるものと推定され、照射によってその生成が促進されたものと思われる。また、さきに(3)で示したように、クロロホルム可溶性画分では、本蛍光物質の増大は殆ど認められなかった事実から、酸化脂質がホスファチジルエタノールアミンなどのアミノ基をもつリン脂質に対するより、蛋白質などに対して、より強い反応性をもつことが推定された。
X物質の由来を推定する目的で、非照射かまぼこから抽出したクロロホルム画分を種々の条件でγ線照射を試みた(図7,A)。すなわちX物質は空気存在下では生成しないが、窒素下で多量に生成することが分かった。この成績から、Xの前駆体がクロロホルム画分、すなわち脂質画分に存在すること、またX物質は、酸素下で照射を受けると分解し易いことなどが推定された。しかし照射の際に、抽出液に酸化防止剤BHT(0.1%)を添加しても効果は認められなかった。
図7、Bは、600krad照射かまぼこのクロロホルム画分について同様の処理を行ったものである。この図から、空気中で照射した場合に、既存のX物質が分解する事実を明確にとらえることが出来る。一方窒素下ではX物質の新たな生成が認められ、これらの成績から生成と分解が同時に起こっていることが明らかになった。
X物質が脂肪由来であることが明らかになったので、不飽和度の異なるパルミチン酸、オレイン酸、リノール酸、アラキドン酸、イコサペンタエン酸、ドコサヘキサエン酸(いづれもメチルエステル)など6種の標品を照射することによって、Xの前駆物質をとらえようと考えた。 しかし、二重結合2ヶ以上のリノール酸以下の脂肪酸は、すべて照射以前にXと類似のスペクトルを与え、その混在が推定された。すなわち、多価不飽和脂肪酸は、いづれも前駆体になり得る可能性が考えられたので、まずリノール酸メチルの照射を試みた。しかし予想に反し、既存の蛍光物質(X様物質)が減少し、X様物質の生成は認められなかった。
そこで改めて生成反応のみがとらえられるように、カラムクロマトグラフィーによって蛍光物質を全く含まない脂肪酸を調製し、このものの照射を試みることにした。脂肪酸としては、リノール酸ミチルとタラ肝油から分離したイコサペンタエン酸メチルとドコサヘキサエン酸メチルの混合脂肪酸を用い、180kradまで照射した。その結果(図8、A,B)、リノール酸メチルからは殆どX様物質の生成は認められなかったが、肝油から調製した多価不飽和脂肪酸からは容易に生成し得ることが分かった。照射によってかまぼこからX物質が容易に生成されるのは、その脂肪酸組成が後者に近似していることによるものと思われる。またこれらの成績から、蛍光物質の生成は不飽和度に依存していることが推定された。
一方、これらの脂肪酸から分離した蛍光物質(X様物質)含量の高い画分(2mのカラムで分離を試みたが、完全な分離は不可能だった)では、両試料とも低線量で分解してしまい、X様物質もまたγ線に対する感受性が極めて高いことが確認された(図8、C)(両試料間に差異は認められなかったので、肝油からの蛍光物質画分の成績は省略)。
図9は照射アラキドン酸メチルと照射かまぼこのクロロホルム可溶性画分のスペクトルを比較したもので、励起極大、蛍光極大いづれも完全な一致が認められ、X物質は多価不飽和脂肪酸由来の蛍光物質(X様物質)であろうと推定された。
X物質は多価不飽和脂肪酸由来であり、その励起極大の位置から、共役テトラエン構造が推定された。そこで二重結合を4ヶもつアラキドン酸メチルをアルカリ処理し、共役テトラエンを調製し、このものと照射アラキドン酸(X様物質)、さらに照射かまぼこ(X物質)との対応について励起蛍光スペクトル、紫外線吸収スペクトルの上から検討を行った。
図10はアラキドン酸メチルの照射した場合と、アルカリ共役化した場合のスペクトルを示したものである(いづれもエタノール溶液として測定)。これから励起極大の波長位置が、照射処理したものは、アルカリ共役化したものに比べて長波長側にあることが分かる。
表3は、両アラキドン酸メチルと照射かまぼこのクロロホルム画分の励起極大を比較したものである。照射アラキドン酸メチルとかまぼこは、溶媒の違いによる極大波長のシフトも一致し、X物質がアラキドン酸を含む多価不飽和脂肪酸由来の蛍光物質(X様物質)と同様の物質であることがより明らかになった。しかし、1,200krad照射アラキドン酸メチルでは、極大の位置がやや短波長側へ移動し、さらに300krad照射試料も尿素分別による精製をくり返すことによって、アルカリ異性化したものに近接することが分かった。
溶 媒 |
λ max(nm) |
|||||
照射かまぼこ |
Co−60(600krad)−C20:4 |
アルカリ−C20:4 |
||||
λ1 |
λ2 |
λ1 |
λ2 |
λ1 |
λ2 |
|
EtOH |
306 |
320 |
306 303a (301.5)b |
320 317a (315.5)b |
300.5 |
314.5 |
CHCl3 |
310 |
325 |
310 (306)b |
325 (320)b |
306 |
320 |
a:1,200krad 照射 b:300krad照射後の尿素付加物画分 |
図11に照射およびアルカリ共役化アラキドン酸メチルの吸収極大を示した。いづれについても、a)で得られた励起極大と同様の傾向が認められた。
しかし、紫外線吸収法は、蛍光法に比べて測定感度が低いことと、共存する多量の非共役二重結合にもとづく短波長側の強い吸収妨害により、照射かまぼこからX物質の存在を推定させる吸収スペクトルは得られなかった。
一方両アラキドン酸の吸収極大を炭素数18ヶの共役テトラエンのα−,β−パリナリン酸の吸収極大(文献値)と比較した(表4)。
その結果、照射したものは、α−パリナリン酸と、アルカリ共役化したものはβ−パリナリン酸と近似していることが分かった。
これらの成績から、γ線照射によって生成する蛍光物質Xは、主としてα−パリナリン酸型、すなわちシスートランスートランスーシス型のテトラエンで、照射線量の増大に伴ってβ型のオールトランス型テトラエンに移行するものと推定された。
溶 媒 |
λ max(nm) |
|||
Co−60(600krad)−C20:4 |
アルカリ−C20:4 |
|||
λ1 |
λ2 |
λ1 |
λ2 |
|
EtOH |
304 302.5a (301.5)b |
319 317a (315.5)b |
300.5 |
314.5 |
CHCl3 |
310 (306)b |
325 (320)b |
305.5 |
319.5 |
|
α − パリナリン酸 |
β − パリナリン酸 |
||
EtOH |
305 304.2 |
319 319.2 |
301 299.4 |
316 313.8 |
CHCl3 |
309.8 |
324.8 |
304.7 |
319.6 |
a:1,200 krad 照射 b:300 krad 照射後の尿素付加物画分 |
照射かまぼこのクロロホルム可溶性画分を、ヨード存在下で光に暴露することによりエライジン化(オールトランス型への移行)を試み、さらにX物質の本体を明確にしようとした。その結果、励起極大が短波長側へシフトし、オールトランス型テトラエンへの移行が確認された(図12)。しかし、スペクトルの上から、X物質の存在が認められなかった非照射かまぼこの抽出液についても、エライジン化によってオールトランス型テトラエンの存在が認められ、このことは、エライジン化の処理過程で新たに共役テトラエンが生成したことを示している。この事実は、紫外線吸収スペクトルからも確認された(図13)。そこで、極めて温和な条件でエライジン化を実施した結果、非照射区では、共役テトラエンの生成が認められなかったが、照射区では完全なエライジン化には至らず、2〜3nm短波長側へシフトしたにとどまった。すなわち、一部がシス型からトランス型へ移行したものと推定された。
以上の検討により、照射かまぼこのクロロホルム画分に存在する励起極大310、325nm、蛍光極大410nm近辺の蛍光特性をもつX物質は多価不飽和脂肪酸由来の共役テトラエン化合物で、主としてシスートランスートランスーシス型であることが推定された。
最終的にかまぼこからX物質を単離し、その構造を決定することが不可能であった理由は、本物質がγ線照射によって生成する特異的な物質でないことで、分離するための第一段階のケン化操作で、目的とする既存物質の分解、新たな生成、さらにトランス化などの諸種の化学反応がおこり、照射そのものによって起こる変化が被いかくされてしまうことにあった。
非照射かまぼこのクロロホルム抽出液を紫外線照射し、共役テトラエンの生成に関し、γ線照射との比較を試みた。図14は両励起スペクトルを示したもので、紫外線照射によっても共役テトラエンの生成は認められるが、γ線に比べて350〜360nmの蛍光強度の上昇が著しく、共役テトラエンにもとづく特異的なスペクトルが確認しにくかった。なお、350〜360nmの蛍光は、オレイン酸、ホスファチジルエタノールアミン等の脂質を、空気中で紫外線照射した場合に得られる励起極大と一致し、酸化脂質に由来すると考えられた。γ線照射によっても、同様に酸化脂質に由来すると考えられる350〜360nmの肩が現れるが、310〜320nmの共役テトラエンの蛍光が強い。すなわちγ線は、共役テトラエンの生成に関し、より特異性が高いといえよう。
かまぼこ、食用油、あるいは脂肪酸標品中の共役テトラエン酸含量を、アルカリ共役化アラキドン酸の蛍光強度(146/μg)を基準として、各蛍光強度から算出した。その結果を表5に示した。600krad照射かまぼこの油脂中の濃度は62ppm、かまぼこ中では0.5ppmと極めて低い値であった。魚油に比べると不飽度の低い植物油のサラダオイルでも27ppmも含まれていることが分かった。標品の脂肪酸では、二重結合4ヶのアラキドン酸が最も高く300ppmであった。
|
共役テトラエン酸含量*(ppm) |
リノール酸メチル アラキドン酸メチル ドコサヘキサエン酸メチル コーンサラダオイル かまぼこ(600krad照射)(油脂中) (全かまぼこ中) |
18 300 238 27 62 0.5 |
* アルカリ共役化アラキドン酸の蛍光強度(146/μg)より算出 |
かまぼこを照射後2℃で1ヶ月および2ヶ月保存した(図15)。その結果、かまぼこの中心部を試料とした場合は、600krad照射区では共役テトラエン酸由来の310〜320nmの蛍光強度は、2ヶ月後に若干低下するものの、二峯性のスペクトルは明らかに確認され、照射、非照射の識別が可能であった。一方かまぼこの表面から試料を採取した場合は、照射、非照射区とも酸化油脂に由来すると考えられる350〜360nm近辺の蛍光強度を増し、2ヶ月後ではその区別が出来なくなった。本蛍光物質は、純品では、極めて不安定で、BHTを加えなければ蛍光測定時の励起光によっても急速にその蛍光が失われて行く。しかしかまぼこ中でこのように安定しているのは、かまぼこの中心部が、低酸素と遮光といった脂質に変敗を防ぐ好条件を備えていることと、共存物質の保護効果によるものと思われる。
以上の検討により、照射かまぼこの判別法として、かまぼこのクロロホルム可溶性画分あるいは切片そのものの励起スペクトルの測定は、簡易で、特異性が高く、かつ対象物質が経時変化を受けにくいなどの利点をもち、すぐれた方法と考える。
照射食品の判別法に関する一連の研究は、従来もいくつかの食品を対象に検討が重ねられて来た。しかし、照射によって起こる変化を見出し、判別法を確立することは、食品本来の品質に変化を与えないことを前提としている食品照射の理念と大きく矛盾するものであり、極めて困難な問題である。とくに食品の成分変化を照射の指標とした場合は、同一品目の食品といっても、多くの要因(原料、食品添加物、製造・加工方法、経時変化など)により、その成分は一様であり得ないため、殆どが対照を必要とし、照射区と対照区との量的な変化で論じられている。このような方式は、実験的には可能であっても、現実には、成立しない。従って、指標となり得るためには、照射によって起こる、対照には存在しない特異的な変化を示すものでなければならない。
われわれは、今回、これらの諸点をふまえ、水産ねり製品(かまぼこ)を対象として、その判別法について検索した。
検討したいくつかの成分中、照射によって変化が認められたものは、フラビン化合物の減少、イコサペンタエン酸、ドコサヘキサエン酸など多価不飽和脂肪酸の減少、酸化脂質とタンパク、核酸その他のアミノ化合物の複合体と推定される蛍光物質の増加などであるが、これらは既述の理由で好適な指標とはいえない。
これに対し、かまぼこの切片そのもの、あるいはクロロホルム可溶性画分の励起蛍光スペクトルは、照射により310〜320nmに対照区には認められない(量的に少ないためで、存在しないことではない)ピークを示し、その蛍光強度は照射線量に依存するなど、極めて高い特異性をもつことが分かった。さらに本蛍光物質が、かまぼこの多価不飽和脂肪酸に由来する、共役テトラエン構造をもった脂質であることを明らかにした。しかし、多価不飽和脂肪酸の標品(市販)中には、照射かまぼこ中の含量を上回る量が混在すること、さらに新鮮なコーンサラダ油にも含まれていることから、本物質がγ線照射によって特異的に生成するものでないことが分かった。
共役テトラエン構造をもつ脂質は、本来極めて不安定な物質であり、照射によって多価不飽和脂肪酸から生成もするが、反面容易に分解してしまう。しかし、かまぼこでは、本物質の前駆体である二重結合5ないし6ヶの多価不飽和脂肪酸が全脂肪酸の50%以上を占めていて生成し易いこと、一方では、生成した共役テトラエンは、かまぼこの中心部の低酸素、遮光などの条件と、共存物質の保護作用によって、安定に保たれているものと思われる。
これらの諸条件によって、600krad照射かまぼこでは、照射2ヶ月後でも特異的なスペクトルを与え、検知可能であった。
本法は、手技的にも極めて簡易であり、僅かの変化を明確にとらえることが出来て、油脂の酸化などの経時変化によっても、励起極大の位置を異にするもので妨害されることもなく、すぐれた検知法と考える。
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