実験結果
1. ESR 信号のスペクトル挙動
2. Mn2+ イオンの超微細構造 (hfc)
3. Fe3+ 信号
4. 遂次飽和挙動
5. 照射による新規ラジカルの発現
考察
1. 市販胡椒での ESR 信号のスペクトル挙動
2. CEN (Committee de Europe Normalization) の ESR 定量条件との比較
3. 照射によるラジカル種の変化と消長
食品は収穫時及び保存時において微生物汚染されやすく、安全性の確保が重要である1), 2)。加工工程での殺菌処理について多くの検討がなされてきた3)〜6) が殺菌技術として放射線照射が近年注目されている。安全性が国際的に認知されるようになり照射量の評価も行われており、照射は食品の流通の拡大が予想されている7)。放射線照射は食品の殺菌を効果的に行うことができるが、放射線照射によるラジカルの発生が危惧されている。日本では殺菌を目的とした照射は許可されていない。
照射の有無を検知する方法8), 9) が検討されているが、電子スピン共鳴 (electron spin resonance, ESR) 法は照射食品の検知法に応用されている。EU (European Union) では公定法としてすでに導入している10)。ESR は操作が簡便であり、ラジカルの迅速な計測が可能である11)。しかし、食品の種類や保存条件などによって信号の検出が出来ないこともあり、食品への応用は限られている。 EU 公定法では魚介類や肉類の骨組織12)、セルロースを含む乾燥野菜や乾燥果実類13), 14) などが分析対象である。
本研究では乾燥野菜のうち緑茶や胡椒を試料として用い、セルロースに補足されたラジカル種を ESR 法により測定し、ESR 信号が食品の種類によって変化するか否かについて検討した。さらに ESR スペクトルの飽和挙動について解析しラジカル種の同定を行った。
緑茶及び胡椒は市販のものを用いた。緑茶は抹茶、ほうじ茶、煎茶とした。胡椒は粉末状の白胡椒、黒胡椒を用いた。いずれも函館市内で購入したものである。購入後直ちに冷蔵保存し、実験に供した。
試料は 300 mg を秤量後、ESR 試料管 (99.9 % 石英ガラス、英光社製) に封入した。
すべての ESR 測定は、ESR 分光器 (JES-FE1XG、日本電子 KK) を用いて行った。測定に用いたマイクロ波の周波数は、X バンド (9.3 GHz) である。共鳴磁場は、250 と 320 mT とし掃引磁場は 500 と 100 mT を用いた。胡椒中の電子スピン緩和挙動を検討するためにマイクロ波磁場を変化させ遂次飽和曲線を求めた。ESR 測定の検出温度は、すべて室温 (20 ℃) である。
試料の照射はガンマ線を用い線量は 10、30、50kGy とした。緑茶は日本原子力研究所高崎研究所、胡椒は独立行政法人食品総合研究所にて照射した。
Fig. 1 に胡椒試料の ESR 信号を示す。常圧下でも減圧下においてもスペクトルの挙動に有意の差異は認められなかったので、本研究における ESR 測定は常圧下で行っている。ESR 信号は Fig.1 で明らかなように胡椒の種類に関わらず、本質的に同一であった。得られた黒胡椒の ESR 信号は 3 成分であった。第一に、P1 で示した g = 2.0 における鋭く強い信号である。これは有機フリーラジカルによるものと推定できる。第二に g = 2.0 を中心とする六本線 (P2) が観測された。これは、Mn2+ イオンによる超微細構造線と同定できる。P3 で示した g = 4.0 の信号は Fe3+ による遷移金属イオンによるものと推定できる。Fig. 2 に抹茶の ESR 信号を示す。胡椒の信号と本質的に同一の 3 成分の信号を得た。これは緑茶の種類に関わらず本質的に同一であった。
Mn2+ イオンの hfc を評価するため、二つの方法を用いた。信号の頂点ないし最大傾斜点を採用した。いずれの方法によっても、各々の胡椒試料中の Mn2+ イオンは、約 7.4 mT の hfc 値を与えた。
g = 4.0 の信号は Fe3+ による遷移金属イオンに由来するが、食品類では希少な ESR 信号の検出である。
Fig. 3 にマイクロ波強度を変化させたときの黒胡椒のスペクトルを示した。マイクロ波強度を増加させるにしたがってスペクトルの g = 2.0 近傍の信号が変化する。即ち、有機フリーラジカルと推定される一本線の信号強度がマイクロ波の増加にしたがって顕著に減少している。これは飽和現象の典型的な例である。マイクロ波強度を 196 mW にすると傾斜基線を呈した。マイクロ波強度の増大による酸素の影響であると思われる。この現象以外、信号全体の質的変化は見られなかった。
Fig. 4-A と B は、Fig. 2 における P1 と P2 の各マイクロ波磁場におけるピーク強度の変化を示している。A と B 図を比較すると P1 が P2 信号より、迅速に飽和することを示している。このことは、P1 が有機フリーラジカル由来の信号であることを意味する。つまり、Mn2+ イオンの超微細構造に起因する信号である P2 よりも P1 が長い緩和時間を保持するからである。Fig. 4-C に Mn2+ イオンと有機フリーラジカル由来のピーク比 (P1/P2) を示した。P1/P2 は有機フリーラジカルの飽和にともない、マイクロ波強度の増加によって信号強度が顕著に減少する。即ち P1/P2 比によって飽和現象が明瞭に示された。
Fig. 5 に照射胡椒の ESR 信号を示した。照射により、g = 2 の有機フリーラジカルに対称な位置に 2 本のペアーピークを観測した。このペアーピークは照射した緑茶においても観測された。
Fig. 1 及び 2 に示したように、胡椒や緑茶の ESR のスペクトルの挙動から 3 成分を得た。シャープな P1、P2 及び P3 の 3 種類のシグナルの同時検出は食品の ESR 測定法においては新知見である。従来、胡椒では P1 と P3 のピークの確認10) はなされているが、P1 と P3 の同時観測はなされていない。P3 は赤唐辛子とシナモンやオールスパイスで検出15) さているに過ぎない。P3 の胡椒での信号検出の報告はない。緑茶でのシグナルの検出例はない。
EU 公定法における ESR 法12)〜14) では異なる実験室間の ESR 測定の定量性を保障するために、一定のマイクロ波強度、例えば 0.4 mW を推奨している。しかし、マイクロ波磁場は胡椒試料の種類により、また含水量によっても変化を受け、同一試料であっても ESR 信号が検出されない場合もありうる。従って、マイクロ波を一定の値に決めることは合理的でない。このことは、遂次飽和法による観測結果 (実験結果の参照) からも明らかになった。
この点を改良すべく、本研究では、同一の ESR スペクトル中での Mn2+ と有機ラジカルのピークの比を用いた。ピーク比 (P1/P2) は同一のスペクトル上で定義されることになり、恒定常数 (universal constant) としての取り扱いができる。食品毎の種類の相互比較が可能となり、測定条件に左右されない厳密な指標を与えると結論した。
ピーク比 (P1/P2) はマイクロ波磁場強度により変化する。P1/P2 のうちの最大値を採用することにより絶対値尺度を設定できる。P1/P2 の最大値を与えるマイクロ波磁場強度を ESR 測定における最適強度として用いることを提唱するものである。
Fig. 5 に示したように照射によりペアーピークが新規に発現した。しかも、胡椒でも緑茶でもペアーピークが観測され、照射の有無を検知する信号として有用と考えられる。しかし、ペアーピークは不安定であり、特に低磁場側の信号は減衰しやすいために、高磁場側のシグナルを照射の有無の検知に応用している9)。黒胡椒では一ヶ月にわたる長期冷蔵保存においてペアーピークが残っていることを観測している (未発表) ので、ESR の測定条件を詳細に検討することで低磁場側のシグナルも照射有無の検知に利用できると考えている。ペアーピークの遂次飽和挙動は異なっており16)、異なるラジカル種であると推察される。
Fig. 2 に抹茶の ESR 信号を示したが、煎茶の有機フリーラジカルの信号に比較するとほうじ茶では信号が増大する傾向 (未発表) であった。これはほうじるという加熱加工操作による茶葉成分の変化、例えばメイラード反応の関与が予想される。この点についてはさらに詳細な検討が必要と考えている。
加熱した胡椒では有機フリーラジカルの信号が加熱時間に従って増加し、一定値に収束したことを報じているが17)、茶葉においてもほうじる時間の経過により、ラジカルの消長が発現すると予測される。
本研究での照射処理にご協力いただき、ご懇篤なるご助言をおよせ下さった日本原子力研究所小林泰彦氏及び渡辺宏氏、独立行政法人食品総合研究所等々力節子氏に感謝する。
1) 伊藤均, 武久正昭, 食品の放射線処理と殺菌, ファインケミカル, 18-30 (1982).
2) Frarkas, J., Radiation processing of dry food ingredients. A review, Radiat. Phys. Chem., 25, 271 - 280 (1985).
3) Farkas, J., Irradiation of Dry Food Ingredients (CRC Press, Boca Raton, FL., 1988).
4) Farkas, J., The Microbiological Quality and Safety of food in Spices and herbs l (ed.13.Lund, B. M., Baird- Parker. A. C., Gould, G. W.) 897-918 (Aspen Publishers, Gaithersburg, MD, 2000).
5) Farkas, J., Kalman, B., Bencze- Bocs, J., Jauernig, A., Experiments for improving the quality of dried vegetables by ionizing radiation (in Hungarian) (1-3), 21-40 (Kiserletugyi Kozlemenyek, LXIII-E, Elelmiszeripar, 1970).
6) Muhamad, L. J., Ito, H., Watanabe, H., Tamura, N., Distribution of Microorganisms in Spices and Their Decontamination by Gamma- irradiation, Agaric. Biol. Chem. 50 (2), 347-355 (1986).
7) 久米民和, 世界における食品照射の現状, RADIOISOTOPES, 51, 522-532 (2002).
8) 等々力節子, 照射食品の検知法について, RADIOISOTOPES, 49, 467-469 (2002).
9) 宮原 誠, 食品照射検知法の現状, 食品照射, 37, 29-47 (2002).
10) Raffi J., Stocker P., Electron Paramagnetic Resonance Detection of Irradiated Foodstuffs, Appl. Magn. Reson., 10, 357-373 (1996).
11) Stewart, E., M., Detection Methods for Irradiated Foods, in Food Irradiation: Principles and Applications (Eds., R. A. Molns), Chap. 14, 347-386 (John Wiley & Sons, Inc., New York, 2001).
12) EN 1786 Food stuffs-Detection of irradiated food containing bone - Method by ESR spectroscopy, European Comittee for standardization, Brussels, Belgium (1996).
13) EN 1787 Food stuffs - Detection of irradiated food containing cellulose - Method by ESR spectroscopy, European Committee for standardization, Brussels, Belgium (1996).
14) EN 1787 Food stuffs - Detection of irradiated food containing cellulose by ESR spectroscopy, European Communittee for standardization, Brussels, Belgium (2000).
15) Uchiyama, S., Kawamura, Y., Saito, J., Identification of γ-irradiated spices by electron spin resonance (ESR) spectrometry, J. Food Hyg. Soc. Jpn. 31, 499-507 (1990).
16) M, Ukai, Y. Shimoyama, Free Radicals in Irradiated Pepper: An Electron Spin Resonance Study, Appl. Magn. Reson. 24, 1-11 (2003).
17) 市井茜, 安部あいか, 鵜飼光子, 電子スピン共鳴分光法によるγ線照射黒胡椒中の有機フリーラジカルの加熱による変化, RADIOISOTOPES, 52, 173-179 (2003).
(2003 年 6 月 2 日受理)
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